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龍谷大学 李相哲教授

【独占直撃】北朝鮮の行方に危機感抱き研究…突き止めた金正恩氏の“本当の誕生日”と「餓死」の真実 朝鮮半島専門家・李相哲教授の知られざる凄絶半生③

 朝鮮半島の専門家として、情報番組や報道番組で連日のように解説をしている龍谷大学・李相哲教授。そのルーツは複雑で、実は中国生まれで元共産党員だったことや、現在は日本国籍を取得していることなどはあまり知られていません。李教授はどのような半生を経て、現在のような「朝鮮半島の専門家」になったのでしょうか。読売テレビ「ミヤネ屋」のプロデューサーが聞きました。(全4回の第3回)

李相哲教授と「ミヤネ屋」高井プロデューサー

―朝鮮半島を研究するようになったきっかけは何ですか?
(李教授)
「私は朝鮮民族なのに、成人になるまで朝鮮半島に足を踏み入れたことがありませんでした。また、1990年代まで韓国にも行ったことがありませんでした。それでも母と父の祖国ですから、韓国がどうなるのか、そして北朝鮮がどんな状況なのかは常に気にしていました。こうした中、2010年ごろ北朝鮮では、金正日氏が息子の正恩氏に政権を譲るんじゃないかという話が出ていました。私は『朝鮮半島はこの先、どうなってしまうのか』と考えた結果、『もし金正日氏が亡くなったらどうなるか』を研究して本を出すことにしました。本では、金正日氏が3年以内に亡くなる可能性が高いこと、金正日氏が亡くなれば金正恩氏体制では労働党中心の体制になること、そして金正恩氏を支えるパワーエリートにはどんな人がいるのか、などを紹介しました。この本がメディアに注目され、ミヤネ屋などに出るようになりました」

―どのようにして情報を得ていたのですか?
(李教授)
「インテリジェンスの方法は、社会学の学問に共通する部分があります。複雑なたくさんの情報を集めて、そこから真実を突き止めるのは共通の仕事です。本では、金正恩氏の誕生日にも触れていますが、『1984年1月8日』という正確な誕生日を書いたのは、おそらく私が世界初だと思います。当時、金正恩氏に関する情報は限られていて、誕生日に関しては『1983年生まれ』という説もありました。また、CIAなどの金正恩氏の人物紹介欄は『年齢不詳』と書いていました。金正日氏の料理人・藤本さんの証言で、『元山の別荘で、お正月のお祝いで遊んでいたら、金正日氏が「うちの正恩は豚年」と話した』というものがあります。北朝鮮では、亥年を豚年というのですね。それが“1983年誕生日説”を有力にしていたとみられます。というのも、朝鮮民族は、干支は太陽暦じゃなくて旧暦を使います。おそらく金正恩氏の誕生日も『1984年1月』が旧暦の『1983年12月』に換算され“豚年”となった可能性が高い。そういうこともあり、私は『1984年1月8日』だとしました。その後、アメリカに亡命している金正恩氏の母の妹がアメリカメディアの取材に答えた際にも、『金正恩氏はうちの息子と同じ歳で、1984年1月生まれ』と証言しています」

―北朝鮮の人民の話も情報として入って来るのですか?
(李教授)
「数年前に北朝鮮の住民25人に、1人2時間ずつインタビューしたことがあります。その中で、印象深い話がありました。『たくさん餓死する』という話はよく聞きますが、具体的にどのように餓死しているのか、というのはあまり知られていませんよね。インタビューに答えた人の話では、平壌駅でベンチに座っていたら、やせ細った男性が隣にやって来てドカンと座ったのですが、次に見たときには、倒れてもう死んでいたそうです。 餓死はそのように起きているということで、当時の北朝鮮の大きな駅には遺体が多くあり、朝になると遺体を収集する人たちが来て、どこかに遺体を運んでいたそうです。これは1990年代後半の話です」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 Youtubeチャンネル「読売テレビニュース」では、李教授へのインタビュー動画全編を公開中。北朝鮮分析の極意や具体的な情報収集の方法、金日成氏の死期がなぜわかったのかなど、教授がNG一切無しで語ります。なお、連載第4回は、韓国研究のきっかけや、朴槿恵大統領の就任式に招待されたエピソードなどに迫ります。

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