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【生激白】ユリア・チェピジコさん(24)日本に避難し今の思いを語る 「とにかくゆっくり眠りたかった」 緊急車両のサイレンで思い出すロシアの攻撃 「遠く離れた家族が心配」
2022年5月5日 UP
ロシアによるウクライナ侵攻から2か月あまり。いまも、ロシアによる攻撃は続いており、国外に避難したウクライナ人の数は550万人以上に上っています。そんな中、先月、日本に来日した24歳のウクライナ人女性が、日本での生活の現状、そして、いまも家族が残る故郷・ウクライナへの想いを語ります。
実家は“噴水の街”ドニプロ
ユリア・チェピジコさん24歳。母親が医師、父親はプログラマーで、13歳の弟さんは学生です。ご家族はいまもウクライナに残っています。家では、ロシア語とウクライナ語を併用しているそうです。実家は、人口およそ100万人、噴水の街と呼ばれるウクライナ有数の工業地帯「ドニプロ」にあるそうです。
Q.ドニプロにロシア軍の攻撃はありましたか?
(ユリア・チェピジコさん)
「ありました。爆発音などもありました」
Q.ご両親は仕事でウクライナに残っているんでしょうか?
(ユリア・チェピジコさん)
「両親の仕事はウクライナにとって大事な仕事です。父は鉄道の運行のプログラムを作っていてウクライナに必要なので、今避難できません。リビウに避難する人が多くて、リビウには住む部屋がないのもあって、ドニプロに残っています。」
実家のあるドニプロではロシア軍の攻撃を知らせるサイレンが頻繁に鳴っていて、避難しやすいように玄関や廊下で寝ていたと言うことです。またオンラインで日本語を教えていた時画面の向こう側から激しい爆撃音が鳴ったこともあるそうです。ウクライナでは軍への入隊希望者が多く経験者以外は入隊待ちの状態だと言います。
Q.戦おうとする人が多いんですか?
(ユリア・チェピジコさん)
「私の友人もドニプロで軍に入って戦おうとしましたが、希望者が多くて入れませんでした。だからボランティア活動を頑張っています」
アニメの大ファンで日本語を学んだが…
Q.ウクライナでも日本のアニメが好きな人は多いのですか?
(ユリア・チェピジコさん)
「はい多くいます。『NARUTO-ナルト-』の主題歌いきものがかりの『ブルーバード』」なども好きな人がたくさんいます。私も日本のアニメが好きで日本語を勉強しました」
ユリアさんは大学で日本語を学び、卒業後は日本語の家庭教師になります。しかし、ロシアの侵攻によって授業はすべてキャンセルとなったそうです。そんな時にユリアさんの母親が、ネットで日本のウクライナ学生支援の活動を知り、ユリアさんに日本行きを勧めました。
Q.ご家族と離れて心配はないですか?
(ユリア・チェピジコさん)
「心配です。電話などは時差の関係であまりできないので、今は毎朝ニュースを見て、ウクライナの家族のいる場所が大丈夫か確認しています」
ユリアさんは部屋や家具家電などは無償で提供を受けています。また「清風情報工科学園」の学費は免除となっています。
Q.いろんな支援があるようですが、食費などはどうしていますか?
(ユリア・チェピジコさん)
「学校の方からいろんな食材をもらっています。それと貯金を使って買うこともあります。日本の食材は高いのでびっくりしました。ヨーロッパより高く感じます」
ドニプロ~大阪間を大移動 そして日本に来て思ったこと
ウクライナからの避難は、列車で約26時間かけてドニプロから約1000km離れたポーランドの首都ワルシャワに移動したのですが、ロシアの攻撃を知らせる警報が出るたびに列車は速度を落とすので時間がかかったそうです。
Q.列車が攻撃されるんですか?
(ユリア・チェピジコさん)
「列車が町に入らずに止まることがあります。その時、次の町にロシアの攻撃の警報が出ているんだなと感じました」
Q.日本の印象は?
(ユリア・チェピジコさん)
「日本は静かだと思いました。先日、ゴールデンウィークだからだと思いますが、近所の公園でバーベキューをしている人たちがいたんですが、その場所は賑やかなのに少し離れると静かなんです。ドニプロだとそういう日は町中で食べたり飲んだりにぎやかになるんです。それと、住んでる部屋も静かです。隣の人も静かにしているので、私も静かにしようと思います。ドニプロだと外から急に音楽が鳴ったりするんです」
Q.日本に来てしたかったことは?
(ユリア・チェピジコさん)
「ウクライナでは緊張して生活していたので、とにかくゆっくり眠りたかったです。でも日本の緊急車両のサイレンの音が、ドニプロの攻撃を知らせるサイレンの音と似ていて、そのせいで怖い夢を見たり、攻撃かと思って起きてしまったりしました」
Q.ロシアの印象は?
(ユリア・チェピジコさん)
「問題はプーチン大統領だけではないと思います。戦争を応援しているロシア人も多いと感じます。父や母はソビエト時代を覚えていて、戦争前はロシアと仲間意識がありました。ただ、私にとってロシアは別の国です」
Q.今後ユリアさんがしたい事は?
(ユリア・チェピジコさん)
「まずは、できる限りウクライナにお金を送りたいです。それと日本語を夢中に励んで勉強したいという思いもあります」
(情報ライブ ミヤネ屋 2022年5月4日放送)