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【独自目線】上皇后さま87歳のお誕生日 “国民に寄り添い続けた日々” 初孫・眞子さまへの思いは… 側近「お別れはお寂しいことと拝察している」
2021年10月21日 UP
上皇后、美智子さまの87歳の誕生日
10月20日、上皇后、美智子さまが87歳の誕生日を迎えられました。民間から初めて皇室に入られて63年。どんな時も上皇さまをそばでお支えになり、国民にも常に寄り添ってこられました。美智子さまが、上皇さまと築いてこられた戦後の“新たな皇室像”とは―。これまでの歩みを振り返るとともに、結婚により皇室を離れる眞子さまとのお別れ、“初孫”として常に大切に愛おしんでこられた眞子さまへの思い、そして送り出す今のお気持ちについてお伝えします。
上皇ご夫妻の最近のご様子
東京・港区の仮住まい先で、上皇さまの腕にそっと手を添えられ歩く上皇后さま。仲睦まじく、庭を散歩されるのが お二人の日課です。10月20日、上皇后、美智子さまは87歳の誕生日を迎えられました。
宮内庁によりますと、美智子さまは朝夕の散策のほか、朝食後の本の音読を毎日続けるなど規則正しい日々を送られています。体調については、2020年から午後になると熱が上がる症状が続いているものの、手や指の不自由さは快方に向かい、この1、2か月は、少しずつピアノを弾かれているということです。
美智子さまのこれまでの歩み
1934年10月20日。日清製粉グループの創業者一族、正田(しょうだ)家の長女として生まれた上皇后・美智子さま。1958年、美智子さまは、当時、皇太子だった上皇さまと婚約されました。1958年11月に行われた婚約会見では、
(美智子さま・当時24歳)
「とてもご誠実で、ご立派で心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げていかれる方だというところに魅力を感じいたしました。」
お二人が出会われたのは“軽井沢のテニスコート”。テニス大会のダブルス戦で上皇さまのペアと対戦されたのが美智子さまのペアだったのです。
(皇室ジャーナリスト・久能靖さん)
「陛下のほうは早稲田大学の学生とペア。それから美智子さまのほうは、13歳のアメリカの少年と組んでのダブルスだったんです。ですから当然殿下の組が勝つだろうと、みんながそう思っていたんですね。第1セットはとったんですけど、第2セット第3セットは逆転して、結局美智子さまのペアが勝ってしまったんです。美智子さまが、臆せず真剣に勝負をされてきたということに、非常に当時の殿下が関心を持たれたということだと思うんです。それがきっかけだと思います。」
1959年にご成婚。初めてとなる民間出身の皇太子妃の誕生に日本中が沸き、いわゆる“ミッチーブーム”が巻き起こりました。当時、デパートには美智子さまのマネキンが展示されるなど、若きプリンセスは、女性たちの憧れの存在に。
国民と皇室を結ぶ「懸け橋」として大きな役割を果たされる存在となった美智子さま。皇室ジャーナリストの久能さんは以前、こんな経験をしたといいます。
(久能靖さん)
「以前私は、葉山の御用邸の近くに住んでいて、ご静養にお見えになられるときはできるだけ浜に散歩するようにしていたんですけども、たまたま、当時の天皇・皇后両陛下がお二人で散歩しておられて、そして急にこちらのほうに向かって来られて「この辺にお住まい?」って言って、まず美智子さまにお声がけいただいた。ほんとに優しい声でね、正直なところうっとりするような声でいらっしゃったんですね。」
美智子さまの子育て
3人の子宝に恵まれた上皇さまと美智子さま。“できるだけ一般の子どもと同じように育てたい”との思いから、それまでの皇室の古い慣わしだった「乳人(めのと)制度」を廃止され、ご自分の手で3人の子どもを育てられました。
後に、美智子さまは、3人のお子様について、
(美智子さま・2010年)
「3人の子どもが育つ過程で、ある日急に子どもが自分を越えていることに気付き、新鮮な喜びを味わった折々のことを今もよく思い出します。テニスコートで私にはとても出来ない、上手なボレーやスマッシュをしていたり、一つの学問を急に深めていたり。私もこのような歌が詠めたらと思う、よい和歌を作っていたり等、その一つ一つは、ごく小さなことであったかもしれませんが、親にとっては感慨深いものであり、未来への希望を与えてくれるものでした。」
上皇さまとの歩み
カメラの前でも仲睦まじい様子を見せられていた上皇さまと、美智子さま。1983年にタンザニアを訪問された際には笑顔で記念撮影をするお姿も。
(上皇さま)
「ゾウと一緒にできるかな。」
(美智子さま)
「一緒に入ってくださらない?誰かに撮ってもらいましょう。」
「ゾウが入らないの。小さくなりましょうか。」
1986年3月には、こんなシーンが。子宮筋腫の摘出の手術を受け、退院された美智子さまは上皇さまの胸元にそっと顔をうずめられたのです。それをやさしくいたわる上皇さま。
1992年、べにばな国体の開会式に出席された際には、思いもよらぬ事件が起きます。上皇さまが、お言葉を述べ始めた直後、背広姿の男がトラック正面に飛び出し、発炎筒を投げつけたのです。その瞬間、美智子さまは、上皇さまをかばうように右手を差し出されたのです。
互いをいたわり、歩んでこられた夫婦生活。1984年、銀婚式の会見で「お互いに点数をつけるとしたら―?」という質問に対し、
(上皇さま)
「点をつけるということは難しいけれども『努力賞』と、しようかと思っています。」
(美智子さま)
「私も、もし差し上げるとしたら、お点ではなくて『感謝状』を。」
心因性の失声症に…
そして、1993年、59歳の誕生日にはこんな出来事が。美智子さまは、赤坂御用地内で突然、倒れました。いわゆる心因性の“失声症”とされました。わずか1週間後、美智子さまは、公務に復帰されますが、声は失われたまま。それでも、手話で挨拶し、お年寄りや障害者の方たちを励まされました。
(美智子さま・当時59歳)
「言葉を失うということは、あまりにも予期せぬことでしたので、初めはその現実を受け止めることが私にできる精いっぱいのことでした。」
声を失い、不安や悲しみを募らせた美智子さまを支えられたのはご家族でした。優しく、いたわる、上皇さまの愛情が美智子さまを回復に導かれたのです。2009年、金婚式の記者会見では…
(上皇さま)
「結婚50年にあたって贈るとすれば『感謝状』です。皇后はこの度も努力賞がいいと、しきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。」
(美智子さま・当時74歳)
「50年の道のりは長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯に取るべき道を求め、
指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。」
被災地への慰問活動
いつも、国民と共に歩んでこられた、上皇ご夫妻。印象深いのは、自ら被災地へ足を運ばれての慰問活動でした。
(皇室ジャーナリスト・久能靖さん)
「即位されて、最初にお出でになったのは、1991年、雲仙普賢岳の火砕流の被災地においでになったときです。膝をついて同じ目線で被災者に、いろいろ励ましの言葉を掛けていらっしゃった。どんな被災地においでになっても必ず膝をついて、同じ目線でお話になる。これが、やはりお二人の共通した思いやりなんじゃないかなって気がしますね。」
2021年7月に静岡県熱海市での土石流災害、8月には大雨災害では九州をはじめ各地で被害が発生しました。美智子さまは、上皇さまとともに、被災地のことに、いまも深くお心をよせ、被害の様子を伝える報道をいつも注視しておられ、ご散策の際などにお付きの側近らに、気になられたことをお尋ねになっていらっしゃるそうです。一方で、全町民が避難している福島県双葉町で、原発事故後初めてお米の試験栽培が行われたことなど、東日本大震災の被災地で少しずつ復興が進んでいることに安堵されているそうです。
”初孫”眞子さまへの思い
秋篠宮家の長女として誕生した眞子さまは、美智子さまにとってかわいい”初孫”です。
(皇室ジャーナリスト・久能靖さん)
「眞子さまは、両陛下にとってはじめてのお孫さんなわけですよね。美智子さまは、お孫ができて、非常にうれしいと。子どもたちに接するのとは違って、孫と接する喜びはまた格別ですとおっしゃったことがあるんです。」
明治以降、歴代の皇后に受け継がれている「養蚕(ようさん)」。繭(まゆ)から生糸をつくるため、蚕(かいこ)を育てていらっしゃいます。
(久能靖さん)
「皇居の中に御養蚕の、蚕を作る場所があるわけですけれども、そこで、眞子さまがずっと美智子さまのお手伝いをしてこられた。そのことに対して、美智子さまが、ばあばよりっていうことでかなり長いお手紙をね、眞子さまにお出しになっている。」
美智子さまが、学習院初等科3年生の頃の眞子さまへ宛てた手紙には…
「眞子ちゃんは ばあばが お蚕さんの仕事をする時、よくいっしょに 紅葉山のご養蚕所にいきましたね。おととし眞子ちゃんは このまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、ばあばは 眞子ちゃんがたいそうはたらき者だと思いました。また、ことしもできましたらお母様と佳子ちゃんと おてつだいにいらして下さい」
(久能靖さん)
「美智子さまの眞子さまに対する細かな心遣いっていうのを、私は感じていました。」
2011年10月、眞子さまが成年皇族となられた際も、美智子さまは…
(美智子さま)
「思慮深く,両親が選んだ名前のように、真っすぐに育ってくれたことを,うれしく思っています。」
10月26日に、小室圭さんとの結婚を控える眞子さま。「複雑性PTSD」と診断された初孫・眞子さまについて、ご夫妻の側近によると、上皇さまと美智子さまは「眞子さまの体調を大変心配されている」。さらに、ご結婚に対しては、「両陛下とも常に大切に愛おしんでおられたので、お別れはお寂しいことと拝察している。」ということです。結婚の前日となる10月25日に、上皇さま、美智子さまは、眞子さまとお会いになる予定です。
(情報ライブミヤネ屋 2021年10月20日放送)


