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“スパイ容疑”で逮捕された鈴木英司氏

【独占直撃】中国でスパイ容疑、「受刑者」となった日本人が語る中国の“拘置所”と“刑務所”知られざる実態「板の間の6人部屋」「ひたすらテレビを…」

 中国で“スパイ容疑”で6年間にわたり拘束された、日中青年交流協会の元理事長・鈴木英司氏。本人は無罪を主張したものの、「日本側から任務を受け、情報収集をした」「中国政府側の人物と、朝鮮半島に関わる話をした」などとして有罪認定され、収監されました。2022年10月の帰国後は、メディアなどの取材を積極的に受け、中国の取り調べの実態などを激白。「中国で今後活動する日本人を中心に、ぜひ知ってもらいたい」と話す鈴木氏に、中国の拘置所や刑務所の実態を、読売テレビ「ミヤネ屋」のプロデューサーが聞きました。

鈴木英司氏(右)と「ミヤネ屋」高井プロデューサー(左)

―中国での拘置所の生活はどんなものでしたか?
(鈴木英司氏)
「部屋は6人部屋を、だいたい3~4人で使うことが多かったです。1段高い、木の板で出来た板の間に一緒に寝ます。仕切りはありません。同じ空間にガラスで仕切られたトイレとシャワーがありました。外には、10m四方くらいの運動場があり、部屋から出入りができます。テレビもあり、だいたいテレビを見て生活をしていました。常に監視カメラで監視されていて、警察や検察の取り調べは拘置所の地下で行われました」

 2016年7月、北京空港で突然拘束された鈴木氏。7か月間「居住監視」という措置で当局の部屋に拘束され、連日取り調べを受けました。「居住監視」中は、24時間ずっと2人の監視がついていて、外とは一切連絡が取れない状況だったと言います。その後、2017年2月に「スパイの疑い」で逮捕され、拘置所へ送られました。

―逮捕前の“拘束”生活と逮捕後の“拘置所”暮らしはどちらがしんどかったですか?
(鈴木氏)
「逮捕後の拘置所生活の方が楽でした。人がいっぱいいて、話も出来ますから。拘束されたときの所持金を当局が預かっていて、2週間に1回、コーヒーなどの買い物も出来ました」

 その後、裁判所で有罪判決を受けた鈴木氏は、2020年11月に収監されました。

(鈴木氏)
「収監されたのは外国人専用の監獄でした。朝6時半に起きて午前7時に朝食。日中は仕事か、それがなければテレビを見ていました。そして午後4時半に夕食をとり、またテレビを見る。コロナで大衆が集まってはいけないので仕事はほとんどなく、テレビを見る時間が長かったです。工場に行った場合は、化粧箱作りや簡単なものの組み立て、あとは出版物の封筒入れや封筒貼りなどをしました」

 刑務所内では、新聞をとることもできたほか、ほかの受刑者との会話も比較的自由にできたと言います。同じフロアには、鈴木氏のほかに日本人が3人いました。彼らは「麻薬の運び屋をして逮捕された」と話していたということです。

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 Youtubeチャンネル「読売テレビニュース」では、鈴木英司氏がさらに詳しく拘置所事情や刑務所事情を語ったインタビュー動画を配信中です。

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