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皇室ジャーナリスト・近重幸哉さん

【独自解説】眞子さんの結婚、そしてお父様の死去…皇室ジャーナリスト「紀子さまは気を遣う、お辛い日が続いていたのではないか」

亡くなった紀子さまの父・川嶋辰彦さんのお人柄

秋篠宮妃・紀子さまの父で学習院大学名誉教授の川嶋辰彦(かわしま・たつひこ)さんが、11月4日に亡くなったことを受け、秋篠宮ご一家が喪に服されることを宮内庁が発表しました。眞子さんの祖父にあたる川嶋さんの死去は、小室夫妻の渡米に影響があるのでしょうか?皇室ジャーナリストの近重幸哉(ちかしげ・ゆきや)さんが独自解説します。

Q.川嶋さんと交流のあった方にお話を聞かれたということですが、突然の訃報でびっくりされていましたか?
(皇室ジャーナリスト・近重幸哉さん)
「交流のあった方というか、経済学部のOBの方たちに元々会う予定をしていて、それが偶然、教授が亡くなられた日だったということで、皆さん驚かれていましたね。そして、とても残念がっていらっしゃいました。若い頃の先生の授業をお受けになっていて、たいへん真面目な授業で、あまり先生が脱線なさるということも無かった気がするということをお話しになっていたのが印象に残りました。その人が社会人になって、仕事が国交省の関係だったことから、リゾート開発の場面でお話を伺いになることがあったそうなんですが、とても親切でどういう場面であっても優しい先生だったとお話になっていましたね。」

Q.近重さんは、川嶋先生とお話になられたことはあるのですか?
「紀子さまの婚約内定が報じられた時の、最初の学習院大学内から取材しておりますので、会えばご挨拶をするぐらいでした。最後にお会いした時は10年ぐらい前だったと思うんですけれども、学習院の正門前でお会いした時に先生のほうからお声がけいただいて『お仕事大変だと思いますけれども、頑張ってください』っていう優しいお言葉を頂きまして。本当は私の方が先に気付いてご会釈しなければならないのですけれども、私が気付いていなかったので、先生の方からご会釈くださったことが本当に印象に残っています。」

秋篠宮ご一家が服喪

川嶋辰彦さんは2019年、代替わりの際の「即位の礼」では元気な姿で出席していましたが、2021年10月19日、東京都内の病院に緊急入院。この日紀子さまは、娘の小室眞子さん、佳子さまとともに病院へお見舞いに。

眞子さんは結婚後、10月29日にも小室圭さんと2人でお見舞いに訪れ、11月3日も病院を訪れていました。

しかし、11月4日午前11時55分、川嶋さんは帰らぬ人に。11月4日も紀子さまや眞子さん、佳子さまも病院を訪れ、午後には眞子さん、佳子さまが病院を後にする様子が見られました。

秋篠宮ご一家の喪に服される期間

秋篠宮ご一家は11月4日から喪に服されていて、服喪期間は、秋篠宮さまは7日間、紀子さまは90日間、佳子さま・悠仁さまは30日間となります。公務は11月4日から見合わせられ、今後は喪の期間を考慮して調整されるということです。

Q.皆さん、喪に服される期間が違うのですね?
(近重幸哉さん)
「秋篠宮殿下は7日間、紀子さまはお嬢様になりますので90日間ということですね。そして佳子さまと悠仁さまはお孫様になりますので30日間ということになります。眞子さまは皇籍を離脱されていますので、喪に服す『服喪』という期間は無くなるのですけれども、やはり佳子さまや悠仁さまと同じようなお気持ちで、静かにお過ごしになるのではないかと思います。」

Q.喪に服するということは、ご公務をされないということですか?
「これには期間がありまして、紀子さまのような90日間の場合は、第1期、第2期もしくは第3期と分かれていまして、第1期の期間は本当に静かにお過ごしになる、という形になると思います。それ以降は段階によって、お出来になることが増えてくる、ということになると思います。」

上皇后さまの父 死去の際は

葬儀にはどなたが出席されるのでしょうか?1999年に上皇后さまの父、正田英三郎さんが亡くなった時には、美智子さまは自宅の弔問や通夜・告別式に出席しました。天皇陛下(現・上皇さま)は自宅を弔問し、通夜に先立ち拝礼。娘である皇后さま(現・上皇后さま)、皇太子さま(現・天皇陛下)、秋篠宮さま、紀宮さま(現・黒田清子さん)は、自宅を弔問し、通夜にも参列しました。

Q.上皇さま、当時の天皇陛下は拝礼のみということなのですか?
(近重幸哉さん)
「基本的に天皇というご宸位(しんい)の方は、ご身内の方であっても、葬儀に出席されるということはございません。ですので今回の場合も、葬儀の前、もしくは違う時間にご拝礼になるという形をおとりになると思います。」

紀子さまの婚約内定から結婚

父として、娘の紀子さまに深い愛情を注いできた川嶋さん。22年前、学習院大学の大学院生だった紀子さまと秋篠宮さまの婚約内定が報じられてから初めて報道陣の前に姿を見せた際には…

(記者)
「ご婚約内定おめでとうございます。」
(川嶋辰彦さん)
「まだ正式な決定ではございませんので、何ともお答えいたしかねますが、温かいお気持ち、大変ありがたく存じます。」

記者からの「紀子さん、一言だけ…」の声に、まだ正式な決定ではないため、紀子さまが返答に困られていると…

(川嶋辰彦さん)
「きょうはせっかくでございますが、娘は研究室に行く途中ですので、お許しいただけますでしょうか。」

すぐさま割って入り、娘を助けました。その後、ご婚約が正式に決まり、妻とともに会見。

(川嶋辰彦さん)
「この機に当たり紀子に対しましては、皇族としての責務をしかと自覚し、その自覚を基に努力をして、宮家の中で気負うことなく人間性を豊かに結実していってくれればと願っております。」

当時、学習院大学の教授だった川嶋さん。娘とともに親子で学校へ通う様子は連日のように報じられました。

Q.紀子さまは婚約当時、“3LDKのプリンセス”と言われていたのですね?
(近重幸哉さん)
「お住まいは学習院の職員住宅で、アパートのような形で3LDKの間取りでしたので、 “3LDKのプリンセス”と言われ、さらに大学で出会った“キャンパスの恋”ということで、たいへん話題になりましたね。わたしたちは建物の向かい側でずっと取材をしていたのですが、紀子さまが洗濯ものを取りこまれるなど、大変庶民的なお手伝いもされていて、そうしたところが紀子さまの人気を一層高めていったような印象がありましたね。」

一般の結納にあたる納采の儀は、その共同住宅の部屋に秋篠宮さまの使者を迎えて行われました。

そして、結婚当日。当時の記者は「たまたま好きになった人が皇族だっただけ、と話していた紀子さん。知らない世界に飛び込む不安よりも、好きな人とこれから一緒に入れるという喜びのほうが大きいのでしょう。」と、紀子さまの様子を伝えていました。皇室へ嫁いでいく娘を握手で送り出した川嶋さん。結婚の儀では、髪をおすべらかしに結い、十二単をまとった紀子さまを、静かに見届けました。

(記者)
「十二単で式に臨まれた紀子さまをご覧になって、どのようなお気持ちだったでしょうか?」
(川嶋辰彦さん)
「静かな水面に映える虹の七色にも似た一つの厳かさと、それに重なるような美しさに、心の静かな動きと漂いを覚えたような気が致します。」

(記者)
「嫁がれる日を前に、紀子さまから、ご両親へのご挨拶があったと思いますが…」
(川嶋辰彦さん)
「舟(長男)と妻と私が『お元気で行ってらっしゃいませ』と申しました。紀子は『行ってまいります。ありがとう存じました』と笑顔を見せてくれました。」

結婚から約2週間後、“初めての里帰り”。送り出した日と同じように、紀子さまを握手で出迎えた川嶋さん。そのあとに秋篠宮さまが到着された際は、笑顔で出迎え、自宅に招き入れました。

天皇陛下が川嶋さんの特別講義に

天皇陛下が川嶋さんの特別講義に

一方、ご結婚から1年後、川嶋さんが勤める学習院大学では…

(天皇陛下(当時は皇太子))
「私はこのような経験は全く初めてでありまして、先生がおっしゃられましたようなおいしい講義になるか、まずい講義になるか、全く分かりません。」

大勢の生徒を前に授業を行われたのは、当時皇太子だった天皇陛下。実はこれは、川嶋さんが担当する特別講義で、そのゲストとして陛下が教壇に。約1時間半にわたり、鎌倉時代までの交通と流通の歴史について、話をされました。

Q. 天皇陛下、当時の皇太子さまが川嶋さんの授業の時に特別講義をされてますが、川嶋さんは、秋篠宮さまを初め、皇室の方ともお知り合いであったのでしょうか?

(近重幸哉さん)
「そうですね、学習院大学の教授でいらっしゃいますので、当然、当時の学生でいらっしゃった天皇陛下、それから秋篠宮殿下も、紀子さまとお知り合いになる前から認識があったと思いますね。大学構内の書店で、紀子さまを紹介されたっていう時に、秋篠宮殿下には『川嶋教授のお嬢様でいらっしゃいます』ということが伝えられた、ということですので、当時から秋篠宮殿下も認識されていたことは分かると思いますね。」

初孫・眞子さんとの交流

そして、この特別講義から約4か月後、川嶋さんにとって初孫となる眞子さんが誕生。記者の「おめでとうございます。赤ちゃんの顔はご覧になりましたか?」「これから病院ですか?」という問いかけには応じなかったものの、川嶋さんの顔には穏やかな笑みが浮かんでいました。

眞子さんのホームステイ先をサポート

2006年8月、当時中学3年生だった眞子さんが、初めてホームステイに行ったオーストリア・ウィーンでのホームステイ先は、川嶋辰彦さんが仕事の関係でオーストリアに滞在した際に知り合ったご友人のお宅だったということです。

Q. 川嶋先生は、皇室とは一定の距離は保っていらっしゃったんですが、眞子さんの海外ホームステイ先を紹介するなど、折々に触れてこういうサポートされていたんですね?

(近重幸哉さん)
「そうですね、表立ってはご発言とか、ご一緒にいらっしゃるところが報じられること、伝えられることはなかったんですけれども、やはりそこはお孫さんたちとの距離というのをしっかりお持ちになって、ご交流を保ちながら、見守ってらっしゃったということはありますね。紀子さまがお小さいころから、アメリカのペンシルベニア、そしてその後いったん日本に戻られて、それからオーストリアに行かれていますので、その時に交流を持たれた方たちと、このように眞子さんを紹介してホームステイまでできるっていう事でしたので。
本当に私が残念に思うのは、川嶋先生がペンシルベニアで学び、教壇に立ってらっしゃる時に知り合った教授とか関係者の方たちがいらっしゃったと思うんですよね。ニューヨークから近い距離ですので、眞子さんがニューヨークにお住まいになった時に、ご交流が出来たんじゃないかなとか、そういうこともあって、先生の訃報の時に残念に思いましたね。」

川嶋辰彦さんの経歴

川嶋さんは、海外でのボランティア活動にも精力的で、中でもタイの山岳地帯を訪れ、環境保全活動などに尽力したといいます。

Q.川嶋さんはタイなどを訪れて、少数民族の方々にお会いになってボランティア活動もたいへん熱心にされていたのですね?
(近重幸哉さん)
「本当に皇族と通ずるというか、川嶋先生もタイに繰り返しお出かけになって、ボランティア活動とか、そういう人を救うような活動をされていましたので、そこは紀子さまにも引き継がれて、お子様方にもそういうお気持ちというのは繋がっているのではないかと思われますね。」

Q. 眞子さんのご結婚とか色々あった中で、お父様がお亡くなりになりまして、紀子さまのご心労というのは大変心配ですよね?

「紀子さまはこの数年間、眞子さんのご結婚に関してたいへん、お心遣い、気遣いもされていたと思うんですけれども、そうした中で眞子さんが宮中三殿に、ご結婚それから皇室離脱の報告を参拝された10月19日に入院されて、皆様でお見舞いに行かれて。ご結婚とお父様のご入院が重なって、紀子さまは気を遣うお辛い日が続いていたのではないかと、そのように思いますね。」

(情報ライブミヤネ屋 2021年11月5日放送)

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