記事

3.11 あの日から15年

【震災15年】「家族とずっと一緒に」思い出の我が家に『解体』か『帰還』かの選択迫る…元原発職員が歩んだ道のりと決断とは

 震災時に福島第一原発の緊急対策室で事故対応に奔走した中野文春さん(58)。避難先のいわき市で飲食店を経営しながらも、心はずっと双葉町の我が家にありました。避難指示解除に向け、帰還困難区域に残る家屋の『解体』か『帰還』かの選択に、中野さんが下した決断とは…。故郷の復興と失われた日常を取り戻すため、新たな一歩を踏み出す姿を追いました。

■「今でも夢に見る」退職を決めた元原発職員の歩み

福島県双葉町

 福島第一原発は、海沿いの2つの町にまたがり立地しています。どちらの町も、震災発生後の原発事故により、放射性物質の拡散などによる甚大な被害を受けました。そのうちの1つ、福島県双葉町は、2022年8月に、県内で最も遅く住人への避難指示が解除された町です。

町に帰ってきているのは93人のみ

 帰還が許されているのは、JR双葉駅を中心としたエリアで、震災前には7140人が暮らしていたものの、現在、町に帰ってきているのは93人のみだといいます(2026年3月1日現在)。人の営みが消えた商店街や、あの日のまま、時が止まった場所もありました。

中野文春さん(58)

 その双葉町から約60km離れた福島県いわき市で、焼き肉店『粋家(すいか)』を営んでいる中野文春さん(58)。

(中野文春さん)
「私としては、初めての飲食店でしたので、精いっぱいでしたね。今でも、なぜ焼き肉屋をやっているんだろうという気持ちになるときもありますから」

家族9人で暮らしていた

 震災当時、双葉町で暮らしていた中野さん。妻や子どもたち、両親らと9人家族で、のどかな日々を過ごしていました。震災があったあの日、家族は町外へ避難したものの、中野さんは―

(中野さん)
「震災のとき、福島第一原発の事故の現場にいましたので、家族と一緒に避難できなかったんです」

勤務先は福島第一原発

 当時、東京電力の社員だった中野さん。勤務先は福島第一原発でした。中野さんは当時の吉田昌郎所長が率いる緊急対策室に入り、発災直後から約1週間、泊まり込みで原発事故などの対応に当たっていたといいます。

(中野さん)
「もうパニック状態ですよね。何が起きたのか誰も分からず、今でも夢に見るぐらい。恐怖と混乱のあの状況は、忘れることはないと思います」

 その後、震災の翌年まで原発事故への対応を行い、中野さんは東京電力を退社しました。

「家族とずっと一緒にいたい」

(中野さん)
「これから先、家族とずっと一緒にいたいなという、そういう気持ちから退職という道を選びました。被災者としてみんなに心配されたり、またあるときには、原発事故の対応に当たった当事者として、非難されるようなことを言われたり、複雑ですよね」

■「切ない気持ちになる」思い出の我が家、『解体』か『帰還』か…迫られる決断

避難先のいわき市で焼き肉店をオープン

 原発の職員だったという過去を抱えながら、家族を養うため、妻と共に避難先のいわき市で焼き肉店をオープンした中野さん。慣れない土地で、初めての飲食業に四苦八苦しながらも、いつも心の中にあったのは故郷への思いでした。しかし、中野さんには双葉町に戻れない訳がありました。

“我が家”は帰還困難区域に…

 福島県には放射線量が高いために、住民の帰還が許されていない帰還困難区域が今も300㎢以上あり、中野さんの地元、双葉町鴻草地区もその一つです。そうした中、中野さんはある決断のタイミングを迎えていました。今後の避難指示解除に向け、行政が動き出す中、思い出が詰まったわが家を解体するのか、それとも除染して再びそこで暮らすのか…。

15年がたっても厳重な警備体制

 中野さんは、自宅がある双葉町の帰宅困難区域へ向かいました。町民でさえ事前の申請が必要とされているなど、震災から15年がたった今も、厳重な警備体制が敷かれています。

家に入るたびにまだ防護服着用

 中に入り、実家へ向かうと、15年もの間、放置され、荒れ果ててしまった我が家が…。入る前には、いつも防護服を着るといいます。

(中野さん)
「帰るたびに、こういう格好をして、家に入らなきゃいけないので、“まだ、あのままなんだ”という気持ち。全然、除染もされていない状況が15年続いているんだと実感します」

 家の中は家具などが散乱したままでした。

「来るたびに切ない気持ち」

(中野さん)
「ここは、いつも家族で食事していたリビング的な所なんですけど、今はこんな感じになっちゃって。もう“そのままの状態”なので、来るたびに切ない気持ちにはなります」

 家族9人で過ごした温かいリビング。15年の月日を経て、そこからぬくもりは消えていました。

夫婦の部屋から写真が…

 夫婦で使っていた部屋へ向かい、荷物を探り始めると、家族の写真が出てきました。旅行に行った時の写真を見ながら、思い出にふける中野さん。いくつもの思い出が詰まった我が家。『解体』か『帰還』か、中野さんの胸の内は…。

苦渋の決断で『解体』へ…

(中野さん)
「久しぶりに家に戻って来て、昔の物を見ると、ついこの間まで、ここで生活していたような、そんな錯覚もしてしまいますけど、でも15年って、やっぱり長いですよね。将来的に、ここに戻れることは、かなわないと思っていますので、解体したほうが気持ち的にすっきりすると思います」

 中野さんは苦渋の決断で『解体』を選びました。

「家族みんなでバーベキューをした記憶」

(中野さん)
「思い出の場所なので、遊んだ家でもありますし、育った家なので、解体しようと決めるまでには、なかなか時間はかかりました。もう一度、ここの庭でバーベキューはしたかったですね。ここは毎年、夏になると恒例行事みたいな感じで、家族みんなでバーベキューをした記憶がたくさんあるので、最後にもう一回できたらうれしいですよね」

■双葉町でランチ営業も…復興に向けて「日常を一つでも取り戻したい」

双葉町でランチ営業をスタート

 今、双葉町は駅前に商業施設が立つなど、復興に向けて前進しています。そして中野さんも、いわき市に店を構えながら、双葉町で週に1度のランチ営業をスタートさせました。

看板メニューの『常陸牛カレー』

 看板メニューは、たっぷりのった常陸牛が存在感を放つ『常陸牛カレー』だといいます。

「日常を一つでも取り戻したい」

 やがて家がなくなろうとも、決して消えることのない故郷を思う気持ち。町がにぎわいを取り戻すために、中野さんは前を向いていました。

(中野さん)
「双葉町でのランチを始めた理由は、震災前の当たり前だった日常を、一つでも取り戻したいという思いと、人が集まって、みんな楽しく食事ができる居場所的な所を作りたかったというのもあります。私は週1回のランチしかできないですけど、小さなことから、そういう場所を増やしていくことが大切なんだと思います」

(「情報ライブミヤネ屋」2026年3月11放送)

SHARE
Twitter
facebook
Line

おすすめ記事

記事一覧へ

MMDD日(●)の放送内容

※都合により、番組内容・放送日時が変更される場合があります。ご了承ください。

※地域により放送時間・内容が一部異なります。