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メーガン妃とヘンリー王子(写真:ゲッティ)

【独占取材】英・メーガン妃の父に直撃!嬉しかった娘の結婚から親子関係が崩壊するまで…“ヤラセ写真”の真実、繰り返す批判と暴露の理由を激白

 世界中から羨望の眼差しを一身に集めた“プリンセス”の姿から一転、急転直下の「王室離脱」を皮切りに、その派手な言動が常に批判にさらされ、今や“トラブルメーカー”と化してしまったイギリスのメーガン妃。そして、メーガン妃と深い確執があると言われる“ある人物”が…実の父であるトーマス・マークルさん(77歳)です。互いが互いを非難し、もはや“絶縁状態”とも伝えられている2人。いつ、何が原因で親子の関係は、壊れてしまったのでしょうか?今回、日本メディア初の独占インタビューを行いました。

喜んだ娘の結婚、パパラッチに壊された生活

メーガン妃の父 トーマス・マークルさん

Q.今回は、無償でインタビューを受けようと思われた率直なお気持ちは?
(トーマス・マークルさん)
「報酬をもらってインタビューを受けるという考えが、私は好きではありません。お金はさほど重要ではありません。それよりも、私の言い分をはっきりと伝えておきたのです。真実ではない話があまりに多く出回っていますから」

メーガンさんとヘンリー王子の婚約発表

Q.まず 娘のメーガンさんがイギリス王室の王子と交際していると初めて知ったとき、どんなお気持ちでしたか?
(トーマス・マークルさん)
「最初はとても驚きましたが、嬉しかったですね。素晴らしいことだと思いました。当時メーガンはカナダにいて、私に電話で報告してくれました。とても嬉しい報告でしたね。『プリンスとデートしてるの』と言うので、『どのプリンス?』と聞いたら、『プリンス・ヘンリ―』だと。世界の有名なプリンスだとわかって、とても嬉しかったです。」

Q.メーガン妃は1000年続く英国王室に誕生した“異端のプリンセス”としてメディアが注目し、それが高まるにつれ、トーマスさんにも“パパラッチ”が付きまとうようになりましたが、その当時の心境は?
(トーマス・マークルさん)
「本当に頭がおかしくなりそうでした。家から一歩でも出ると、すぐに写真を撮られましたから。まわりはパパラッチだらけでした。彼らは両隣の家の前庭を借り上げて、写真を撮る機会を狙っていました。私が車を出しに行くと、いっせいに写真を撮るんです。顔にいきなりマイクを押し付けられることもしょっちゅうで、本当に気が狂いそうでした」

パパラッチに撮られた写真(写真:アフロ)

 無精ひげに、突き出たお腹…ラフな格好でスーパーに出かけるところをパパラッチに撮影され、“だらしない姿”として世界中に配信されたり、ビールを買っている姿を撮られ、「大酒飲み」のように報じられたこともありました。トーマスさんいわく、これは「自分が飲むためではなく、家を警備する警備員にあげるためだった」ということです。

娘夫婦から助言は無かった

Q. パパラッチ対応について、ヘンリー王子やメーガン妃から「パパラッチにこういう風に対応するよう」になどアドバイスはありましたか?
(トーマス・マークルさん)
「ヘンリー王子には電話で、『とにかくマスコミとは話をするな』と言われましたが、当時は常にマスコミに囲まれていて、話をせざるを得ない状況だったのです。しかし二人は、私に警護スタッフを手配するどころか、何の助言もくれませんでした。ただ『マスコミとは話すな』と言うだけです」

花嫁の父を演じた“やらせ写真”の真相

父と娘の確執(写真:ゲッティ、アフロ)

Q.2018年5月に、ヘンリー王子とメーガン妃の「結婚式」が執り行われることが決まって、その後招待状は届いていましたか?
(トーマス・マークルさん)
「私も私の家族も、招待状は受け取っていません」

Q. トーマスさんが結婚式に出席する準備をしている様子をパパラッチに撮らせたのを、世界中で“やらせ写真”だと報じられましたがが、その真相について教えてください。
(トーマス・マークルさん)
「2年もの間、ありとあらゆる新聞が私を悪者に仕立てるような写真を載せ続けました。そんな中、あるパパラッチが『いい写真を撮るから』と言って私を安心させたのです」

 だらしなく見える姿ばかりが報じられ、なんとか自分のイメージを変えたいと思っていたトーマスさんは、「良いイメージを世間に広めよう」と、ついパパラッチの甘い誘いに乗ってしまったといいます。さらにこの一件で、トーマスさんの身に異変が…。“やらせ騒動”のショックから心臓に負担がかかり、結婚式の直前に緊急入院してしまいます。

入院中、娘からの連絡は「なかった」

Q.入院中、二人からお見舞いや連絡はありましたか?
(トーマス・マークルさん)
「ヘンリー王子から『あなたが僕の言うことを聞いていたら、やらせ騒動は起こらなかった』という電話があっただけです。それ以降、入院中の私の体調を気遣って連絡をくれることもありませんでした。私は心臓の手術の後、病院のベッドに寝たまま何日も連絡を待っていましたが、無駄でした。自分の親に対して、よくこんな冷たい仕打ちができるものだと思いますよ…」

仲良し親子に生じた亀裂のきっかけ

2回受賞した「エミー賞」のトロフィー

 かつてアメリカのテレビ局で、撮影監督と照明監督の仕事をしていたトーマスさんは、1970年代後半、ドラマの撮影現場でメイクアップアーティストの見習いをしていたドリアさんと出会い結婚。1981年、メーガン妃が誕生しました。このころ仕事も順風満帆で、照明監督としては腕利きで知られ、テレビ番組における世界最高峰「エミー賞」を2回受賞しました。

メーガン妃とも仲睦まじく、“普通の親子”だったというトーマスさん。11歳のころのメーガン妃の映像には、無邪気に甥っ子と遊ぶ姿と、そばで見守るトーマスさんの姿が映っています。メーガン妃が中学1年生のとき、学校で行われたアンケートに人種をチェックする欄がありました。白人か、黒人か…その両方の血を受け継ぐメーガン妃はどちらも選べず、空欄で提出。帰宅後、思い悩む娘にトーマスさんは、「次からは、自分でチェック覧をつくればいいのさ」と答えたと言います。

Q. 今お話を聞いていると、子どもの頃から最近まで、メーガン妃とは仲が良かったというような印象を持つのですが…
(トーマス・マークルさん)
「週末には演劇学校への送り迎えもしましたし、レストランや映画にも一緒に出かけました。本当に仲のいい親子だったんです。娘のことをとても愛していましたし、もちろん今でも愛しています」

いくつもの思い出を共有し、確かな絆で結ばれていたという親子2人。しかし、人生の歯車が狂い始めたのは1990年。トーマスさんが宝くじで、約8200万円を当ててからでした。トーマスさんは友人に誘われ、そのお金を“ジュエリービジネス”に投資し、当選金の大部分を失ったといいます。そして妻・ドリアさんと、メーガン妃が6歳の時に離婚。2016年には、米カリフォルニア州でクレジットカードの負債約357万円を抱えて、自己破産しました。

Q.トーマスさんは、メーガンさんのお母さんと離婚された後も、生活費や養育費は払っていたのですか?
(トーマス・マークルさん)
「もちろん払っていました。すべて私が払っていました」

Q. メーガン妃は「13歳のときから、生活のために低賃金の仕事をしなければならなかった。自分で学費を稼ぎながら、大学を苦労して卒業した」など、貧困の中で育ちながらも、自力で成功をつかんだというエピソードを披露していますが…
(トーマス・マークルさん)
「メーガンはアルバイトなどしたこともありません。そんなことをしなくても、欲しいものはなんでも買い与えていました。奨学金なんてまったくのでたらめですよ。あの子がいくらアルバイトしたって、到底払えるような学費じゃなかったんです。大学の費用はすべて私が出しました。娘はアルバイトなんてしていないし、する必要もなかったんです。」

Q. メーガン妃とトーマスさんの関係がおかしくなって悪くなっていったのは、いつの時期でどういう理由だと思われますか?
(トーマス・マークルさん)
「まず時期としては、テレビの仕事をするためにメーガンがカナダに住居を移した頃ですね。この時からメーガンも、経済的に自立できるようになりました。そしてヘンリーと出会ってから、娘はがらりと人が変わってしまいました。かつての娘とはまるで別人です。金持ち連中と付き合うようになってから、人を見下すような態度をとるようになってしまいました。自分は特別な人間なんだと思うようになったのでしょう。」

繰り返す“暴露”と“批判”…いま望むこと

 そして、2人の関係に決定的に亀裂が入ったのは、トーマスさんが出席できなかった結婚式の直後。この頃からトーマスさんは、周囲があっと驚く行動に出るようになります。2018年6月、トーマスさんはイギリスの情報番組に生出演。ヘンリー王子とメーガン妃が「マスコミと話をしないで」と言い続けていたにも関わらず、娘が結婚に至るまでの経緯を赤裸々に語りつくしたのです。その後もメディアで、ヘンリー王子とメーガン妃に対する批判を繰り返しました。

Q. 結婚式の後に、突如ヘンリー王子の批判をされるようになりましたが、その理由を教えてください
(トーマス・マークルさん)
「彼がくだらないことばかりやっているからです。とても頭のいい人間だとは思えません。彼が馬鹿なことをやるんで、私はそれをはっきりと指摘しているだけです」

そして結婚式の2か月後、トーマスさんはイギリス大衆紙のインタビューに応じ、娘と音信不通になっていることを暴露する。「娘から無視をされている…」、この父の悲しみの吐露に、世論はトーマスさんに同情的になりました。そしてメーガン妃への批判が高まっていったのですが、ここからトーマスさんは、さらなる“暴挙”に出ました。メーガン妃がトーマスさん宛に書いた手紙を、無断で新聞社に持ち込んだのです。そこに綴られていたのは、父への悲痛な叫びでした。
「もし私を愛しているなら、今のようにマスコミに話をするのはやめてください。お父さんが選んだのは、私と話すことでも助けを受け入れることでもなく、私からの電話に答えるのをやめ、タブロイド紙とだけ話すことでした」

Q.なぜトーマスさんは、このメーガン妃の手紙を公開したのですか?
(トーマス・マークルさん)
「メーガンの友人だという5人が、『ピープル誌』の記事の中で私について、事実無根のことを話していたのです。それであの手紙を新聞社に渡しました。報酬はもらっていません。あくまで『ピープル誌』の記事に反論するために、そうしたのです。」

当時、トーマスさんによる“不仲の暴露”により、「家族を見捨てた」と批判されていたメーガン妃の状況に耐えかねた親友5人が、雑誌「ピープル」を通じて「父親の暴露はウソだ」と反論しました。メーガン妃が父親を無視していない証拠に、「メーガン妃は挙式後、父親に手紙を送っている」と主張しました。これに対しトーマスさんは、「手紙は私への誹謗中傷がほとんどだった」と応戦。“自分を弁護するために手紙を公開した”といいます。

Q.マスコミ対応の誤解があって、メーガン妃との関係が悪化していったということですか?
(トーマス・マークルさん)
「そうです。パパラッチのせいです」

Q. 今お話を聞いてると、メーガン妃とトーマスさんがちゃんとした話ができれば、和解できるような気がするんですが…
(トーマス・マークルさん)
「たしかに和解できればいいですが、難しいでしょうね。もう4年近くも向こうから連絡がありませんから」

今年4月、YouTuberに

  しかしトーマスさんの“暴走”は、これで止まりません。実は4月に、“YouTuber”としてデビューしたのです。動画で共演するのは、トーマスさんの姿を誰よりも早く世に放った、カメラマンのカール・ラーセン氏。ここでもやはり、ヘンリー王子とメーガン妃への痛烈な批判を展開して、さらなる波紋を呼んでいます。

Q. YouTubeは、なぜ始められたんですか?
(トーマス・マークルさん)
「今ここでお話しているようなことを、世間に伝えるためです。今回のインタビューと同じような質問を、これまで何度もされてきましたから」

これまでの経緯に後悔も

Q. 最後に、トーマスさんが今最も望んでいること、願っていることを教えてください。
(トーマス・マークルさん)
「もし叶うのなら、娘と以前のような関係に戻りたいです。ハリーとはうまくやれるとは思いませんが…最初から面と向かってじっくり話し合うことが出来ていたら、これほど関係がこじれることはなかったと思います」

Q.お孫さんに会いたいですか?
(トーマス・マークルさん)
「もちろん、孫にはとても会いたいです。」

(情報ライブ ミヤネ屋 2022年5月3日放送)

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