5月13日のラジオ・ニッポン放送の「辛坊治郎ZOOM」を聞いていたら、
「郵便書簡」
で番組に届いたお便りの話をしていました。
「ミニレター」
とも呼ばれるものです。
「令和ことば事情10387電話帳・百科事典・書簡類は死語?」でも、ちょっと触れましたが、いまや、
「郵便書簡」「ミニレター」
と言っても、若い人は誰も知らないという話をしていたのです。
私は大学時代(40数年前ですが)、東京の下宿に、よく母から郵便書簡が届きました。
「ハガキと手紙の中間ぐらいの料金」
で、ハガキ大の紙が折り畳んで糊でとめるようになっていて、広げると、
「ハガキの3倍ぐらい、文章を書くスペースがある」
のです。私は使ったことはなかったですが、そこは、
「主婦のアイデア」(こんな言葉も、もう死語なのかな)
で「やり繰り」をしていたのだと思います。メールもLINEもないんですよ。
「文通」
というのも、もう「死語」でしょうね。雑誌の後ろのページに、
「ペンパル(ペンフレンド)募集」
なんてコーナーがあって、住所が公開されていました。
「ペンフレンド」
が唯一、生き残っているのは、「爆風スランプ」(サンプラザ中野くん)の名曲、
「大きな玉ねぎの下で」
の歌詞の冒頭の、
「ペンフレンドの 二人の恋は」
義頼かなあ。この間映画もやっていたけど「ペンフレンド」って、若い人に意味が通じるのかな?
話しが少しそれましたが、当時は、
「個人情報」
なんて概念は、まだなかったんでしょうね。漫画雑誌でも、
「○○先生に励ましのお手紙を出そう!」
とかって書かれていて、
「漫画家の先生の住所」
が書いてありましたしね。野球選手や歌手なんかの住所も。
単行本の奥付にも、
「著者の住所」
が書かれていました。でも、手紙などを出すのに「お金(切手代)がかかった」。それをホイホイと出せるほど、みんなお金もなかったのかな。
「電話」も自宅にはなくて、お隣の家の電話を借りたりしていましたね。50年以上前ですが。電話番号の前に、
(呼)
と書いてあったのは、
「呼び出し電話」
のことでした。これこそ「死語」かな。若い人は、わかんないだろうな。
そのお宅の廊下の突き当りか、居間にある電話の所まで行って、
「すみません・・・」
と恐縮しながら電話を受けて小声で話をする。そりゃあ「個人情報」ダダ漏れだよなあ。
「長距離電話代」
も高かったですよね。あ、そうだ、
「コレクトコール」
で、東京から大阪の実家に電話したなあ。その「コレクトコールの電話番号」も忘れちゃったなあ…。ネット検索したら、
「106番」
でした!そうそう、思い出した。あ、国内のコレクトコールが始まったのは、
「1980年8月1日」
だったのか!ちょうど、私が大学に入った年!ということは、
「最新のサービス」
だったのか!
それが、「1996年11月1日」に、
「108番」
の「自動コレクトコール」に替わったそうですが、その頃にはもう私は「コレクトコール」を使うことはなくなっていました、もう大人だったから。ですから「108番」という番号に記憶はありません。そしてその「自動コレクトコール」も、
「2015年7月31日にサービス終了」
していたのです!知らぬ間に「コレクトコール」も死語か・・・。
先日、日本郵便の社長が、
「大幅な値上げをしないと、やっていけない」
と、たしか2000億円ぐらいの赤字があると話していました。
そもそも「郵便」は、
「ユニバーサルサービス」
として始まった通信事業。「ユニバーサルサービス」というのは、
「日本という国に住んでいる人、どこに住んでいても、均一料金で同じサービスを享受できる」
というもので、
「平等=福祉」
の範疇ですから、
「自由・平等・友愛(博愛)」
と言えば「フランス革命のスローガン」で「民主主義」を表すフレーズですが、実はこの3つ、
「同じ方向を向いたベクトルではない」
のですね。だって「自由」と「平等」のベクトルの向きは「正反対」ですからね。そのバランスを取るのが「友愛(博愛)」なのではないでしょうか。ある種の、
「トリニティー」
ですね。
「平等」は本来、「資本主義」には合わないものです。でも、それがあってこそ、
「同じ国に住む国民」
という意識を持つことができて、
「国民国家」
が形成でき得るのですから、その意味では「資本主義にとっても必要なもの」なのです。
「安定した国家」の下でこそ、「資本主義も発展できる」のですから。
しかし、「資本主義の論理」から言えば、
「離島と都心部の料金に、差がついて当然」
ですが、「ユニバーサルサービス」としての郵便は、距離に関係なく、
「ハガキは85円、手紙は110円 ミニレター(郵便書簡)85円」
という格安の同一料金で届くのです。有難いことです。
でも、2年前の11月に、郵便料金は大分値上げされましたよね。
この流れは、実は20年以上前の小泉純一郎内閣による
「郵政民営化」
によって、すでに定まっていたものです。しかし、急激な変化は国民を刺激する(過度な影響を与える)ということで、ゆっくり先送りしてきた。それが20年経った今頃、ようやく、
「民営化の負担部分が回って来た」
と言えるでしょう。
そして20年の間に「郵便」は、あまり利用されなくなり「メール」「LINE」「SNS」といった手段にコミュニケーションツールは変化して来ました。ある意味「郵便事業」はその役目を終えつつあると言えるのではないでしょうか?(それでいいのか?という問題も別にして。)
でも、「メール」だって「LINE」だって何だって、
「電気がなければ、役に立たない」
のです。それに比べたら「手紙やハガキ」は、電気がなくても書くことができる。(届けられるかどうかは別問題ですが。)
「死語」にまつわる、いろんな問題がありそうですねえ。


