ネットの「デイリースポーツ」の記事を見ていたら、
「フィギュアやられていたのね!!」
という文字が出て来ました。
NHKの五輪中継に朝ドラ女優が出て来て、実は、
「フィギュアスケート歴8年」
だと明かされてネット民が驚いたという記事なのですが、この、
「やられていた」
という言葉は、
「やっていらっしゃった」
という意味の、
「尊敬語」
だと思って「れる・られる敬語」を使っているのでしょう。
しかし、どう見ても、
「受身形」
にしか見えません。
なんか「違和感ありあり」です。
同様のものに、
「おしゃべりになる」
があります。よく宮根さんは使うのですが、なんかヘンな感じがします。
これは「お~になる」という「尊敬語」の形です。
なぜ、これがおかしいと感じるのか?考えたところ、
「お~になる」「れる・られる敬語」
ともに、
「そぐわない動詞」
があるのではないか?と思い付きました。
「敬語にふさわしくない動詞(行動)」
ということになりますか。たとえば
「しゃぶる」「しばく」「盗む」「なぶる」「殺す」
などは、
「おしゃぶるになる」「おしばきになる」「お盗みになる」「おなぶりになる」「お殺しになる」
など「お~になる」といった形の「尊敬語」は似合いません。このうち、
「しばく」「盗む」「なぶる」「殺す」
は、
「道徳倫理的に尊敬できない行動」
と言えます。その動詞の指す「行為・行動」が「尊敬できない」ものであれば、
「尊敬語を使って話すことはできない」
のです。
「しゃぶる」
は、「道徳倫理的」には問題はないのですが、
「品がない」「品位に欠ける」「下品」
ということで、
「品位のない行動の動詞もまた、尊敬語を使うことはできない」
ということでしょう。同様に、
「しゃべる」「やる」
は、「品がない」のですね。同じ意味の「品のある言葉(動詞)」は、
「話す」「する・行う」
なのでしょう。だから、
「お話しになる「なさる」「行われる」
などとは、何の違和感もなく使えます。
「品のない動詞」と「品のある動詞」をしっかり意識し区別して使うことが、求められていると思います。



(追記)
8年前の「2018年」に書いていました、「平成ことば事情6981やられてきて」。
卓球の福原愛選手引退に関して、インタビュアーが、
「ずっと卓球をやられてきて」
と聞いていました。うーん、前から放送に出てしまっていたんだなあ。
でも、直らない人は直らない、ということかなあ…。
(2026、3、4)
(追記2)
2025年12月9日深夜(10日午前)の毎日放送「町中華飲(や)ろうぜ」で、樋口アナウンサーが、
「お父さんがやられてた」
と「敬語の『やられる』」を使っていた、というメモが出て来ました。
(2026、3、10)