10281「やられていた・おしゃべりになる」

2026 . 2 . 16

10281

 

ネットの「デイリースポーツ」の記事を見ていたら、

「フィギュアやられていたのね!!」

という文字が出て来ました。

NHKの五輪中継に朝ドラ女優が出て来て、実は、

「フィギュアスケート歴8年」

だと明かされてネット民が驚いたという記事なのですが、この、

「やられていた」

という言葉は、

「やっていらっしゃった」

という意味の、

「尊敬語」

だと思って「れる・られる敬語」を使っているのでしょう。

しかし、どう見ても、

「受身形」

にしか見えません。

なんか「違和感ありあり」です。

同様のものに、

「おしゃべりになる」

があります。よく宮根さんは使うのですが、なんかヘンな感じがします。

これは「お~になる」という「尊敬語」の形です。

なぜ、これがおかしいと感じるのか?考えたところ、

「お~になる」「れる・られる敬語」

ともに、

「そぐわない動詞」

があるのではないか?と思い付きました。

「敬語にふさわしくない動詞(行動)」

ということになりますか。たとえば

「しゃぶる」「しばく」「盗む」「なぶる」「殺す」

などは、

「おしゃぶるになる」「おしばきになる」「お盗みになる」「おなぶりになる」「お殺しになる」

など「お~になる」といった形の「尊敬語」は似合いません。このうち、

「しばく」「盗む」「なぶる」「殺す」

は、

「道徳倫理的に尊敬できない行動」

と言えます。その動詞の指す「行為・行動」が「尊敬できない」ものであれば、

「尊敬語を使って話すことはできない」

のです。

「しゃぶる」

は、「道徳倫理的」には問題はないのですが、

「品がない」「品位に欠ける」「下品」

ということで、

「品位のない行動の動詞もまた、尊敬語を使うことはできない」

ということでしょう。同様に、

「しゃべる」「やる」

は、「品がない」のですね。同じ意味の「品のある言葉(動詞)」は、

「話す」「する・行う」

なのでしょう。だから、

「お話しになる「なさる」「行われる」

などとは、何の違和感もなく使えます。

「品のない動詞」と「品のある動詞」をしっかり意識し区別して使うことが、求められていると思います。

 

 

(2026、2、16)

(追記)

8年前の「2018年」に書いていました、「平成ことば事情6981やられてきて」。

卓球の福原愛選手引退に関して、インタビュアーが、

「ずっと卓球をやられてきて」

と聞いていました。うーん、前から放送に出てしまっていたんだなあ。

でも、直らない人は直らない、ということかなあ…。

(2026、3、4)

 

(追記2)

2025年12月9日深夜(10日午前)の毎日放送「町中華飲(や)ろうぜ」で、樋口アナウンサーが、

「お父さんがやられてた」

と「敬語の『やられる』」を使っていた、というメモが出て来ました。

(2026、3、10)