10129「布団太鼓」

2025 . 10 . 21

10129

 

 

秋祭りのシーズンです。

大阪の堺のほうでは、秋祭りで担がれる「神輿(みこし)」が、

「布団太鼓」

と呼ばれる、

「赤い正方形の座布団の親玉みたいなのを、逆ピラミッド形に5段ほど積んだもの」

が用いられます。東大阪市や枚方市のほうでも同じです。

「堺=南河内」「東大阪=中河内」「枚方=北河内」

ですから、この「布団太鼓」は、

「河内地方特有のもの」

なのでしょうか?これまでは、あまり不思議に思ったことがなかったけど、いわゆる「神輿」とは形が違うし、名前も違いますものね。

ネットで調べてみたら、「布団太鼓」とは、

「大阪河内・泉州地方(貝塚・和泉佐野)・兵庫県の播磨・淡路地方(神戸・尼崎・伊丹・西宮・三田・三木・高砂・稲美町・柏原町・淡路島)・奈良(大和郡山)・広島(三原)・香川(小豆島)・徳島(三波町)・愛媛など瀬戸内海沿岸地方の秋祭り(淡路島は春祭り)で担がれる大型の太鼓台のこと。祭りの山車(だし)の一種。『布団だんじり』(淡路島)、『布団神輿(みこし)』『布団屋台』『ちょうさ』とも呼ばれる。1830年(天保元年)の絵馬にも描かれている。大阪から瀬戸内海を通じて長崎まで広まった。」

とのことでした。内部には中央に太鼓があり、「乗り子」と呼ばれる少年が4~8人乗り込んでいるそうです。

それにしても「泉州地域」でも、「貝塚・和泉佐野」には「布団太鼓」があるのに、

「岸和田」

は違うんですね。有名な、

「岸和田だんじり祭」

で使われるのは、

「普通の山車・神輿」

の大きなもので「布団太鼓」ではないです。なぜだろう?

またネット検索してみたら、最近はAIが答えてくれるんですね。

それによると、「布団太鼓」は、

「江戸時代後期に大阪で生まれた」

と言われており、その起源にはいくつか説があるが、有力な説は、

「江戸時代、綿入りの布団は貴重品で、神輿で御旅所に向かう神様が休憩する際に、氏子が寝具として布団を運んだのが始まり」

と言われているそうです。たしかに昔の布団は「綿入り」のふんわりしたものではなく、ペタッとした、

「煎餅(せんべい)布団」

でしたね…(遠い目)。

そもそも「神輿(みこし)」は、その字の通り、

「神様が乗っている輿(こし)=駕籠(かご)のようなもの」

ですから、そこに「布団」を積んでいるのは、言われてみたら納得できました。

それが大阪から「瀬戸内海」を通って「長崎まで」というのも、

「当時の長距離ハイウェイは『海の道=船路』」

だったことを考えれば、納得がいきます。

大阪の天神祭の神輿も、

「船渡御」

で、船に乗って神様が移動しますからね。毎年7月25日の「船渡御」は、

「水上(川の上)のトラック野郎大集合」

のような迫力がありますからね!

それにしても「岸和田」は「岸」で「和田=港」ですから海上交通も発達していただろうに、なぜ「布団太鼓」がないのか?

恐らく「布団太鼓」は比較的規模が小さいので、

「より大きな山車を作る財力があったから」

なのかもしれませんね。知らんけど。

 

(2025、10、21)

(追記)

愛媛県の「布団太鼓」は、新居浜市の、

「新居浜太鼓祭り」

というお祭りの神輿のようです。

(2025、10、22)