秋祭りのシーズンです。
大阪の堺のほうでは、秋祭りで担がれる「神輿(みこし)」が、
「布団太鼓」
と呼ばれる、
「赤い正方形の座布団の親玉みたいなのを、逆ピラミッド形に5段ほど積んだもの」
が用いられます。東大阪市や枚方市のほうでも同じです。
「堺=南河内」「東大阪=中河内」「枚方=北河内」
ですから、この「布団太鼓」は、
「河内地方特有のもの」
なのでしょうか?これまでは、あまり不思議に思ったことがなかったけど、いわゆる「神輿」とは形が違うし、名前も違いますものね。
ネットで調べてみたら、「布団太鼓」とは、
「大阪河内・泉州地方(貝塚・和泉佐野)・兵庫県の播磨・淡路地方(神戸・尼崎・伊丹・西宮・三田・三木・高砂・稲美町・柏原町・淡路島)・奈良(大和郡山)・広島(三原)・香川(小豆島)・徳島(三波町)・愛媛など瀬戸内海沿岸地方の秋祭り(淡路島は春祭り)で担がれる大型の太鼓台のこと。祭りの山車(だし)の一種。『布団だんじり』(淡路島)、『布団神輿(みこし)』『布団屋台』『ちょうさ』とも呼ばれる。1830年(天保元年)の絵馬にも描かれている。大阪から瀬戸内海を通じて長崎まで広まった。」
とのことでした。内部には中央に太鼓があり、「乗り子」と呼ばれる少年が4~8人乗り込んでいるそうです。
それにしても「泉州地域」でも、「貝塚・和泉佐野」には「布団太鼓」があるのに、
「岸和田」
は違うんですね。有名な、
「岸和田だんじり祭」
で使われるのは、
「普通の山車・神輿」
の大きなもので「布団太鼓」ではないです。なぜだろう?
またネット検索してみたら、最近はAIが答えてくれるんですね。
それによると、「布団太鼓」は、
「江戸時代後期に大阪で生まれた」
と言われており、その起源にはいくつか説があるが、有力な説は、
「江戸時代、綿入りの布団は貴重品で、神輿で御旅所に向かう神様が休憩する際に、氏子が寝具として布団を運んだのが始まり」
と言われているそうです。たしかに昔の布団は「綿入り」のふんわりしたものではなく、ペタッとした、
「煎餅(せんべい)布団」
でしたね…(遠い目)。
そもそも「神輿(みこし)」は、その字の通り、
「神様が乗っている輿(こし)=駕籠(かご)のようなもの」
ですから、そこに「布団」を積んでいるのは、言われてみたら納得できました。
それが大阪から「瀬戸内海」を通って「長崎まで」というのも、
「当時の長距離ハイウェイは『海の道=船路』」
だったことを考えれば、納得がいきます。
大阪の天神祭の神輿も、
「船渡御」
で、船に乗って神様が移動しますからね。毎年7月25日の「船渡御」は、
「水上(川の上)のトラック野郎大集合」
のような迫力がありますからね!
それにしても「岸和田」は「岸」で「和田=港」ですから海上交通も発達していただろうに、なぜ「布団太鼓」がないのか?
恐らく「布団太鼓」は比較的規模が小さいので、
「より大きな山車を作る財力があったから」
なのかもしれませんね。知らんけど。



(追記)
愛媛県の「布団太鼓」は、新居浜市の、
「新居浜太鼓祭り」
というお祭りの神輿のようです。
(2025、10、22)