9995「サンフランシスコ講和条約か?平和条約か?」

2025 . 7 . 4

9995

 

<2019年12月10日に書き始めました>

<その後2024年11月13日に書き足しました>

 

「サンフランシスコ講和条約」は、

「講和条約」なのでしょうか?それとも、

「平和条約」なのでしょうか?

2014年3月3日の「朝日新聞」朝刊の「キーワード」には、

「講和条約」

として、解説が次のように載っていました。

「サンフランシスコ講和条約=第2次大戦を終結させるため、1951年9月8日、米国など48カ国と日本が米サンフランシスコで署名した。冷戦を背景に共産圏の旧ソ連、旧チェコスロバキア、ポーランドは署名を拒否した。52年4月28日に発効し、連合国による日本占領が終わった。日本は独立を回復したが、沖縄や小笠原諸島、奄美群島は本土復帰までの間、米国の施政下に残った。」

一方、「外務省本省」のサイトには、

「平和条約」

として次のように記されていました。

「日本外交文書サンフランシスコ平和条約 調印・発効=本巻は、『日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発効』として、サンフランシスコ平和条約の調印から発効までの外務省記録(1951年9月~1952年4月)を編纂・刊行するもので、通算202冊目の『日本外交文書』になります。」

 

うーん「講和条約」と「平和条約」の両方の呼び名があるのかな?

そして結局、2025年7月3日にひらめきました。

結んだ時点では「講和条約」。

その後、「講和」による「平和状態」が長期間続けば「平和条約」と呼ばれることもあるし、む「平和条約」そのものを結び直すこともあるのではないか?

・・・調べてみると「英語」では、

「peace treaty」

ですから、その日本語訳としては、

「平和条約」

でも、

「講和条約」「和平条約」

とも訳されることがあるようです。

「講和」を辞書で引けば、

*「講和」=交戦国が合意のもとに戦争をやめ、平和を回復すること」(精選版日本国語大辞典)

です。「戦争をやめること」が「講和」。「講和」によって得られる状態が「平和」と考えればいいのでしょうか?

いずれにせよ、この「サンフランシスコ講和条約」が「1952年4月28日」に発効して「連合国による日本占領」が終わったのです。ことし、「2025年」は、

「戦後80年」

と言われていますが、そこから7年間は、

「占領下(Occupied Japan)」

なので、「独立国としての本当の自由はなかった」のですね。

この時代(1952年)に関する新聞記事では、2024年11月28日の「朝日新聞・夕刊」で、

「1952年 人が地球環境を圧倒し始めた」

という見出しがありました。「南極」の地層の記録から、「1952年」が、

「メタン濃度の急増」

を示しているのだそうです。戦争の終結による人口の増加は「平和がもたらした産物」なのでしょう。

また、坂本龍一の「音楽は自由にする」という著者の中に、

「ぼくが生まれた1952年に、ジョン・ケージは『4分33秒』を発表しています」

とありました。ピアノの前に座って何も弾かない、有名な「無音の4分33秒間の音楽」ですね。「平和」によって、それまでの価値観・概念を壊すような新しいものが、文字通り、

「アプレ・ゲール」(戦後)

として生まれてきたのでしょうね。

そして、先日見かけた、

「昭和28年(1953年)の郵便はがき」

の写真は、額面のところが、

「500

となっていたものです。額面は「5円」ですが「銭」の表記も下線が引かれてまだ残っていたのです。そして図案は、

「国会議事堂」

です。「独立国」の「国会議事堂」です。

それを見て思い出したのは、同じ「5円」で、

「穴の開いていない5円硬貨」

です。たしかあの図案も「国会議事堂」だったのではないか?と思って検索したら、

出て来ました。やはり、そうでした!

これはつまり、戦後、しかも「独立」してすぐの頃は、

「『民主主義の象徴』として、『国会議事堂』を図案として取り上げることが多かったのではないか?」

「世の中にそういった機運が高かったのではないか」

ということです。

「民主主義のアイコンは『国会議事堂』」

だったのです。まだ「保守合同」(1955年=昭和30年)前ですから、「自由民主党」もない時代ですが。

「講和条約」か?「平和条約」か?という話から、随分脱線してしまいましたね。

 

(2025、7、4)