10028「同志」

2025 . 7 . 23

10028

 

 

 

リリー・フランキーさんが「伊藤博文」役で出演していて「安重根(アンジュングン)」に暗殺される「ハルビン事件」を描いた韓国映画、

「ハルビン」

を見ました。その中で「抗日運動」を続けるグループが「仲間」のことを、

「同志」

と呼んでいるのを見て、

「『同志』って、共産主義か社会主義の国で使われるのではないか?『大韓帝国』は、そうじゃないよな?」

と、ちょっと疑問に思いました。でも、

「同志社」の「同志」

ですね。「同志社」は別に「共産主義」でも「社会主義」でもないですよね。

「ある政治的活動、主流に反抗する勢力のグループが仲間を同じ志を持つ者として『同志

と呼ぶ」

のでしょうか?「多数派」では呼ばないのか?

でも「北朝鮮」では「主流派」が「同志」と呼んでいますよね。

一方「資本主義社会」では、それぞれが「同じ思い」を持っていると、

「ライバル」

になるので「同志」とは言わないのかな?

「精選版日本国語大辞典」を引いてみました。

*「どうし(同志)」(1)こころざしや主義・主張を同じくすること。また、その人。同じ目的を持つ仲間。

(2)動作・性質・状態などにおいて、たがいに共通点を持っている人。名詞に直接ついて、接尾語的にも用いる。たがいに。…である者。同じ仲間。どち。「かたきどうし」「日本人どうし」。

(3)(同志)特に、革命的集団や社会主義国などで、その仲間の者の名につけてたがいに呼ぶのに用いる。「同志…」「…動詞」。

 

つまり私が思っていた「同志」は(3)で、映画「ハルビン」で出て来た大韓帝国の安重根(アンジュングン)たちは(1)あるいは(3)の「革命的集団」の「同志」ですね。

「革命的集団」と「社会主義国」「共産主義国」というのは、全く同じではないが、共通した要素を持っているということでしょうか。「革命」時には「反主流」として戦い、逃走に勝利して「社会主義国」「共産主義国」で「主流」になっても、当時の呼び名の「同志」を温存するということなんですかね。

 

(2025、7、23)