リリー・フランキーさんが「伊藤博文」役で出演していて「安重根(アンジュングン)」に暗殺される「ハルビン事件」を描いた韓国映画、
「ハルビン」
を見ました。その中で「抗日運動」を続けるグループが「仲間」のことを、
「同志」
と呼んでいるのを見て、
「『同志』って、共産主義か社会主義の国で使われるのではないか?『大韓帝国』は、そうじゃないよな?」
と、ちょっと疑問に思いました。でも、
「同志社」の「同志」
ですね。「同志社」は別に「共産主義」でも「社会主義」でもないですよね。
「ある政治的活動、主流に反抗する勢力のグループが仲間を同じ志を持つ者として『同志
と呼ぶ」
のでしょうか?「多数派」では呼ばないのか?
でも「北朝鮮」では「主流派」が「同志」と呼んでいますよね。
一方「資本主義社会」では、それぞれが「同じ思い」を持っていると、
「ライバル」
になるので「同志」とは言わないのかな?
「精選版日本国語大辞典」を引いてみました。
*「どうし(同志)」(1)こころざしや主義・主張を同じくすること。また、その人。同じ目的を持つ仲間。
(2)動作・性質・状態などにおいて、たがいに共通点を持っている人。名詞に直接ついて、接尾語的にも用いる。たがいに。…である者。同じ仲間。どち。「かたきどうし」「日本人どうし」。
(3)(同志)特に、革命的集団や社会主義国などで、その仲間の者の名につけてたがいに呼ぶのに用いる。「同志…」「…動詞」。
つまり私が思っていた「同志」は(3)で、映画「ハルビン」で出て来た大韓帝国の安重根(アンジュングン)たちは(1)あるいは(3)の「革命的集団」の「同志」ですね。
「革命的集団」と「社会主義国」「共産主義国」というのは、全く同じではないが、共通した要素を持っているということでしょうか。「革命」時には「反主流」として戦い、逃走に勝利して「社会主義国」「共産主義国」で「主流」になっても、当時の呼び名の「同志」を温存するということなんですかね。


