9969「そなた、こなた、かなた、あなた」

2025 . 6 . 26

9969

 

 

これまで何回も歌ってきた男声合唱組曲「水のいのち」(高野喜久雄作詞・髙田三郎作曲)。また9月に東京で歌います。その歌詞の中に、

「そなた 水のいのちよ」

という「曲のタイトル」が出て来る「核心」の歌詞があります。この、

「そなた」

の「そ」は、いわゆる

「こそあど言葉」

ですよね。そこで、

「『こそあど』の距離感」

について考えてみました。

まず「子音」で考えると、

「そなた」    =「s」

「こなた・かなた」=「k」

そして、

「あなた」は「母音」=「a」

「あなた」に「子音」の「k」が付いたら、

「かなた」

ですから、「かなた」は「あなた」よりも、同じ「k」が付く、

「こなた」

に近いのではないか。

「あなた」「かなた」の「母音」は「a」ですから、「大きな音」、つまり、

「距離が遠い感じ」

ですね。「あなた」は、

「二人称の代名詞」

としても使われますが、「丁寧な言い方」でありながら、

「親しみを感じさせない、ちょっと突き放した感じ」

がします。つまり「距離がある」のですね。

それに対して「こなた」「そなた」の「母音」は「o」なので、「a」よりも、

「口の開きが狭い」

ので「音がこもって」、

「距離は近い感じ」

というようなことが、考えられるのではないでしょうか?

大相撲の行司が、対戦する力士2人を、

「かたや」「こなた」

と「方角」のように呼ぶこともありますが、「こなた」は「これ」ですね。

「あなた」「かなた」「こなた」「そなた」の「語尾」の「た」は、

「場所(ところ=所・処分)を表す」

なのでしょう。また「な」は「の」を意味します。そうすると、これらは

「『こ』の所」「『そ』の所」「『あ』の所」「『か』の所」

で、結局「こそあど」に戻りますね。「ど」は「どなた」とか「どこか」(「こ」は「場所」を表す)となって「不定」。「Where」のような「疑問詞」なので、ここでは省きます。関連で、

「ことし」は「こ」の年、これは一番近い。今。

でも「こぞ」は「こ」が付くけど「去年」だなあ・・・。近いと言えば近いけど。

「そとし」「かとし」「あとし」「どとし」

とは言いませんが、「こそあど」の後ろに「の」を入れると、

「そのとし」「かのとし」「あのとし」「どのとし」

と言えます。「ことし」だって「の」を入れて、

「このとし」

でもいいですが、「このとし」と「ことし」は普通、意味が異なりますね。

ところで「都の西北」の愛称で知られる、

「早稲田大学校歌」

の「3番」の歌詞の冒頭は、

「あれみよ 『かしこ』の 常盤の森は」

なのですが、この、

「かしこ」

が、この「校歌」が初めて披露された「1907年(明治40年)10月21日」に配られた「歌詞と楽譜(数字譜)」が印刷された紙には、

「あしこ」

となっているのだそうです。知らなかったなあ。

「あしこ」というのは聞き慣れませんが、

「あすこ」→「あそこ」

ならわかります。元の形が「あしこ」なのでしょうか。「さ行」の「母音が変わった」のでしょうね。でも、「『あれ』見よ」なんだから「あしこ」というのは呼応としては自然なのかなあ。「あしこ」の「し」は、「強調の『し』」かな?

「まさにあの所」=「あ『し』こ」

かな?

ちなみに「かしこ」は、

「そこかしこ」

のように、

「いろんな所」「あちこち」

のイメージがあります。この「し」も「強め」か。

あ、「あちこち」も、

「あちらこちら」

で「ら」も多分、

「あたり」

という、

「やや不確定は場所・方角を指す婉曲表現」

だと思われます。

「僕ら」「君ら」「彼ら・彼女ら」

の「ら」は「複数形」を表しますが、「複数」ということは、主体の「僕」「君」「彼」「彼女」の「意味が弱まる・薄まること」を意味しますよね?

その「ら」を省略したのが「あちこち」。「ピンポイントで指す」感じがしますね。

この「ち」も「場所を表す」のでしょう。

結局「こそあど」の「あ」と「こ」=「向こうとこっち」というところに戻ってまいりました。

 

(2025、6、26)