9925「弔問に訪れた」

2025 . 6 . 5

9925

 

 

6月3日(火)午前6時39分、長嶋茂雄さんが亡くなりました。89歳でした。

永久欠番の、栄光の背番号「3番」。

その「倍数」なんですよね、全部。

また「6月3日」は、二女「三奈」さんの「誕生日」だったそうです。

そして「89歳」という年齢は、福岡ソフトバンクホークス会長・王貞治さんの、監督時代の背番号と同じ。王さんはその背番号を、

「やきゅう(野球)」

から取ったと、おっしゃっていました。

長嶋さんは、

「記録より、記憶に残る男」

と言われましたが、「プロ野球」は「数字」にこだわるスポーツでもあります。その意味でご自身の背番号「3」にこだわったということは、あったのではないでしょうか?亡くなった日時などは「偶然」だとしても。

長嶋さんの死は、「いちプロ野球選手の死」ではなく「昭和という時代の終焉」を告げるものだと思いました。「昭和100年」の年というのもまた、「長嶋さんらしい」とは思いました。今年は阪神の吉田義男さん(91)、小山正明さん(90)も亡くなっているんですよね…。

さて、きょう取り上げた言葉は、

「弔問に訪れた」

です。これに関して「ミヤネ屋」のYデスクから、

「『弔問に訪れる』は『重複表現』ではないか?『弔問した』でよいのではないか?」

と指摘を受けました。そこで「弔問」を辞書で引いてみたら、

「おくやみのために、死んだ人の家をたずねること」(三省堂国語辞典)

「くやみを述べるために、亡くなった人の家を訪れること」(三省堂現代新国語辞典)

「遺族を訪問してくやみを言うこと。またその人」(精選版日本国語大辞典)

「遺族を訪問して、くやみを述べること」(デジタル大辞泉)

「遺族を訪問して悔やみを述べること」(明鏡国語辞典)

「死者の遺族をたずねて悔みを言うこと」(新明解国語辞典)

「死者の家を訪問して、くやみを言うこと」(岩波国語辞典)

「死者の遺族を訪問して、くやみを言うこと」(現代国語例解辞典)

「死者の遺族を訪問してくやみを言うこと」(広辞苑)

「死者の遺族を訪れ、悔みを述べること。葬儀に参列して、とむらうこと」(大辞林)

「死者の遺族をたずね、くやみを言うこと」(新選国語辞典)

 

と、手元にある辞書は全て、

「遺族の元を訪問してお悔やみを言う」

という「行く」「悔みを言う」という「2つの行動」を「弔問」が持っていると示していました。そうすると、

「弔問に訪れる」

は、「弔問」がすでに「訪れる」という意味を含んでいるので、

「重複表現」

になりますよね。でも今回見ていると、結構この、

「弔問に訪れる」

が使われていたように思います。

ネットで見ると、「日本テレビ」6月4日、

「長嶋茂雄さんの死去をうけ、長嶋さんの自宅へ弔問に訪れたまな弟子で巨人OBの松井秀喜さんが4日午前、コメントしました。」

「テレビ朝日」6月4日、

「元プロ野球・読売巨人軍の松井秀喜さんが4日午前、長嶋茂雄さんの自宅を弔問に訪れました。

「NHK」6月5日のネット記事では、

「“ミスタープロ野球”長嶋茂雄さんの死を悼む動きは広がり、4日夜は、“平成の怪物”と呼ばれた松坂大輔さんも、長嶋さんの自宅に弔問に訪れました。

日刊スポーツの6月5日の記事では、

「元巨人の柴田勲氏(81)が5日、3日に肺炎のために89歳で亡くなった巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんの自宅へ、2日連続で弔問に訪れた。

そして6月4日の巨人軍公式サイトも、

「3日早朝に逝去された長嶋茂雄終身名誉監督を悼むため、4日、ジャイアンツタウンスタジアム(略称:Gタウン/東京都稲城市)では正面広場に追悼記帳所が設けられ、多くのファンが弔問に訪れました。

となっていました。これは、

「弔問=お悔やみを言う」

という意味で捉えているからではないでしょうか?つまり、「弔問」の「問」を、

「訪問」

の意味ではなく、

「問う」(話しかける)

という意味だと思って、

「弔問(弔いの問いかけをする)」

だと思っているのではないか?と感じました。

 

(2025、6、5)