6月3日(火)午前6時39分、長嶋茂雄さんが亡くなりました。89歳でした。
永久欠番の、栄光の背番号「3番」。
その「倍数」なんですよね、全部。
また「6月3日」は、二女「三奈」さんの「誕生日」だったそうです。
そして「89歳」という年齢は、福岡ソフトバンクホークス会長・王貞治さんの、監督時代の背番号と同じ。王さんはその背番号を、
「やきゅう(野球)」
から取ったと、おっしゃっていました。
長嶋さんは、
「記録より、記憶に残る男」
と言われましたが、「プロ野球」は「数字」にこだわるスポーツでもあります。その意味でご自身の背番号「3」にこだわったということは、あったのではないでしょうか?亡くなった日時などは「偶然」だとしても。
長嶋さんの死は、「いちプロ野球選手の死」ではなく「昭和という時代の終焉」を告げるものだと思いました。「昭和100年」の年というのもまた、「長嶋さんらしい」とは思いました。今年は阪神の吉田義男さん(91)、小山正明さん(90)も亡くなっているんですよね…。
さて、きょう取り上げた言葉は、
「弔問に訪れた」
です。これに関して「ミヤネ屋」のYデスクから、
「『弔問に訪れる』は『重複表現』ではないか?『弔問した』でよいのではないか?」
と指摘を受けました。そこで「弔問」を辞書で引いてみたら、
「おくやみのために、死んだ人の家をたずねること」(三省堂国語辞典)
「くやみを述べるために、亡くなった人の家を訪れること」(三省堂現代新国語辞典)
「遺族を訪問してくやみを言うこと。またその人」(精選版日本国語大辞典)
「遺族を訪問して、くやみを述べること」(デジタル大辞泉)
「遺族を訪問して悔やみを述べること」(明鏡国語辞典)
「死者の遺族をたずねて悔みを言うこと」(新明解国語辞典)
「死者の家を訪問して、くやみを言うこと」(岩波国語辞典)
「死者の遺族を訪問して、くやみを言うこと」(現代国語例解辞典)
「死者の遺族を訪問してくやみを言うこと」(広辞苑)
「死者の遺族を訪れ、悔みを述べること。葬儀に参列して、とむらうこと」(大辞林)
「死者の遺族をたずね、くやみを言うこと」(新選国語辞典)
と、手元にある辞書は全て、
「遺族の元を訪問してお悔やみを言う」
という「行く」「悔みを言う」という「2つの行動」を「弔問」が持っていると示していました。そうすると、
「弔問に訪れる」
は、「弔問」がすでに「訪れる」という意味を含んでいるので、
「重複表現」
になりますよね。でも今回見ていると、結構この、
「弔問に訪れる」
が使われていたように思います。
ネットで見ると、「日本テレビ」6月4日、
「長嶋茂雄さんの死去をうけ、長嶋さんの自宅へ弔問に訪れたまな弟子で巨人OBの松井秀喜さんが4日午前、コメントしました。」
「テレビ朝日」6月4日、
「元プロ野球・読売巨人軍の松井秀喜さんが4日午前、長嶋茂雄さんの自宅を弔問に訪れました。」
「NHK」6月5日のネット記事では、
「“ミスタープロ野球”長嶋茂雄さんの死を悼む動きは広がり、4日夜は、“平成の怪物”と呼ばれた松坂大輔さんも、長嶋さんの自宅に弔問に訪れました。」
日刊スポーツの6月5日の記事では、
「元巨人の柴田勲氏(81)が5日、3日に肺炎のために89歳で亡くなった巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんの自宅へ、2日連続で弔問に訪れた。」
そして6月4日の巨人軍公式サイトも、
「3日早朝に逝去された長嶋茂雄終身名誉監督を悼むため、4日、ジャイアンツタウンスタジアム(略称:Gタウン/東京都稲城市)では正面広場に追悼記帳所が設けられ、多くのファンが弔問に訪れました。」
となっていました。これは、
「弔問=お悔やみを言う」
という意味で捉えているからではないでしょうか?つまり、「弔問」の「問」を、
「訪問」
の意味ではなく、
「問う」(話しかける)
という意味だと思って、
「弔問(弔いの問いかけをする)」
だと思っているのではないか?と感じました。


