この6月から「懲役刑」「禁錮刑」に代わって、
「拘禁刑」
が導入されたのはご存じでしょうか?これまでの、
「『刑罰』中心の考え方」
から、
「再犯防止のための『教育』中心の考え方」
へのシフトチェンジです。
6月10日の読売テレビ「かんさい情報ネットten.」で特集を放送していました。
その中で、元・大阪刑務所所長の方を取り上げてインタビューしていたのですが、その方の経歴紹介の中で、
「全国の刑務所を渡り歩いて勤務してきました」
という一文があって、気になりました。
「渡り歩く」
というのは文字通り、
「いろんな所に行く」
ですが、国語辞典を引くと、
「特に生活の手段を求めたりしながら各地を転々とする。また、いろいろと職業や職場を変える」(「精選版日本国語大辞典」)
とありますように、どちらかというと、
「マイナスのイメージ」
を持つ言葉だと思います。この元・刑務所長の方は、
「全国の刑務所で、所長などを歴任された」
わけなので、
「『渡り歩く』という言葉は、ふさわしくないのではないか?」
と思ったのです。しかしそこで「ハッ!」と思いました。
「一つの仕事を一生続ける専門の職人」
や、
「一つの会社で、何十年も勤め上げること」
が、これまでの(日本)社会においては、
「望ましいこと、評価の対象(プラスイメージ)」
で捉えられてきました。それこそ、
「生涯一(いち)○○」
というような
「終身雇用制」
の下では成り立ったものですが、それがほぼ崩壊して、
「転職が普通」(「天職」から「転職」)
となった現代日本おいて、果たして、
「『渡り歩く』は『マイナス評価』なのか?」
と思ったのです。それどころか、
「『渡り歩く』ほうが、『プラス評価』なのではないか?」
という気もします。たぶんこのディレクターも、そう思っていたからこそ、元・刑務所長に対して「渡り歩いてきました」という表現を使ったのでしょう。
「生涯ジャイアンツ」
だった「長嶋茂雄さん」が多くの国民に愛されたのは、まさに、
「昭和の時代」「終身雇用制の時代の日本」
だったから。それに対して「月見草」の「野村克也さん」は、
「いくつもの球団を渡り歩いた」
わけですが、それは実は、
「実力があったからこそ、できたこと」
であります。所属する会社(そしき)は変わっても、同じ仕事をできるというのは、
「その道のプロ」
としては、ものすごく誇らしいことなのではないでしょうか。
多くの辞書に「渡り歩く」は、
「生活のために仕事を求めて各地を転々とする」
とありましたが、「新選国語辞典」は「1番目の意味」は、
「(1)あちこちを移り歩いて生活する(例)諸国を渡り歩く」
ですが、「2番目の意味」で、
「(2)(俗語)高級公務員が退職後、つぎつぎに関連団体の役員の地位に就く。」
と、いわゆる、
「天下り」
の意味も載せていました。
今回出て来た「元大阪刑務所長」は、それではないですけど、
「新たなプラスの意味での用例」
も載せるべきではないかなと思いました。



(追記)
書き終えてから思ったのですが、日本の「終身雇用制」や「ひとところで頑張る」というのは、
「農耕民族として習性」
なのではないでしょうか?それに対して、「渡り歩く」というのは、
「狩猟民族の習性」
なのでは?
もちろん、「漁業」などは「狩猟民族系」ですが、その漁業でも「養殖」となると「農耕民族系」なので、ひとくくりには言えないとは思いますが、大まかな傾向として。
いかがでしょうか?
(2025、6、11)