9938「渡り歩く」

2025 . 6 . 10

9938

 

 

この6月から「懲役刑」「禁錮刑」に代わって、

「拘禁刑」

が導入されたのはご存じでしょうか?これまでの、

「『刑罰』中心の考え方」

から、

「再犯防止のための『教育』中心の考え方」

へのシフトチェンジです。

6月10日の読売テレビ「かんさい情報ネットten.」で特集を放送していました。

その中で、元・大阪刑務所所長の方を取り上げてインタビューしていたのですが、その方の経歴紹介の中で、

「全国の刑務所を渡り歩いて勤務してきました」

という一文があって、気になりました。

「渡り歩く」

というのは文字通り、

「いろんな所に行く」

ですが、国語辞典を引くと、

「特に生活の手段を求めたりしながら各地を転々とする。また、いろいろと職業や職場を変える」(「精選版日本国語大辞典」)

とありますように、どちらかというと、

「マイナスのイメージ」

を持つ言葉だと思います。この元・刑務所長の方は、

「全国の刑務所で、所長などを歴任された」

わけなので、

「『渡り歩く』という言葉は、ふさわしくないのではないか?」

と思ったのです。しかしそこで「ハッ!」と思いました。

「一つの仕事を一生続ける専門の職人」

や、

「一つの会社で、何十年も勤め上げること」

が、これまでの(日本)社会においては、

「望ましいこと、評価の対象(プラスイメージ)」

で捉えられてきました。それこそ、

「生涯一(いち)○○」

というような

「終身雇用制」

の下では成り立ったものですが、それがほぼ崩壊して、

「転職が普通」(「天職」から「転職」)

となった現代日本おいて、果たして、

「『渡り歩く』は『マイナス評価』なのか?」

と思ったのです。それどころか、

「『渡り歩く』ほうが、『プラス評価』なのではないか?」

という気もします。たぶんこのディレクターも、そう思っていたからこそ、元・刑務所長に対して「渡り歩いてきました」という表現を使ったのでしょう。

「生涯ジャイアンツ」

だった「長嶋茂雄さん」が多くの国民に愛されたのは、まさに、

「昭和の時代」「終身雇用制の時代の日本」

だったから。それに対して「月見草」の「野村克也さん」は、

「いくつもの球団を渡り歩いた」

わけですが、それは実は、

「実力があったからこそ、できたこと」

であります。所属する会社(そしき)は変わっても、同じ仕事をできるというのは、

「その道のプロ」

としては、ものすごく誇らしいことなのではないでしょうか。

多くの辞書に「渡り歩く」は、

「生活のために仕事を求めて各地を転々とする」

とありましたが、「新選国語辞典」は「1番目の意味」は、

「(1)あちこちを移り歩いて生活する(例)諸国を渡り歩く」

ですが、「2番目の意味」で、

「(2)(俗語)高級公務員が退職後、つぎつぎに関連団体の役員の地位に就く。」

と、いわゆる、

「天下り」

の意味も載せていました。

今回出て来た「元大阪刑務所長」は、それではないですけど、

「新たなプラスの意味での用例」

も載せるべきではないかなと思いました。

 

(2025、6、10)

(追記)

書き終えてから思ったのですが、日本の「終身雇用制」や「ひとところで頑張る」というのは、

「農耕民族として習性」

なのではないでしょうか?それに対して、「渡り歩く」というのは、

「狩猟民族の習性」

なのでは?

もちろん、「漁業」などは「狩猟民族系」ですが、その漁業でも「養殖」となると「農耕民族系」なので、ひとくくりには言えないとは思いますが、大まかな傾向として。

いかがでしょうか?

(2025、6、11)