<2016年2月24日に書き始めました>
「未来を加速する」
という言葉は、
「ヒューレット・パッカード」
のコマーシャルです。つまりコンピューター。
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これだけを書いて「9年以上」も「ほったらかし」でした。そろそろ書こうかなと。
この時に、「なぜ、この言葉に引っかかったか」というと、
「『未来を加速する』ことに、危惧を覚えたから」
です。この会社のコンセプトから言えば、
「コンピューターの解析速度を上げれば上げるほど、他社に勝てる」→「世の中も便利になる」
ということだと思うのですが、「未来を加速」して「先取り」した「その“先”にあるもの」は「何」なのか?
「天国=パラダイス」
なのでしょうか?それとも、
「地獄=ヘル」
なのでしょうか?たとえば、
「地球の自転速度より早くすることに意味があるのか?」
というような感じ。やはり、
「自然の摂理」
というものがあるのではないか?という気がしたのですね、このとき。
そして「書く速度」を加速することなく、ほったらかし(=スピード・ゼロ=停止)にしておいたわけです。
もう20年以上前に、角川歴彦さんの講演を聞くことがありました。ちょうど「電子メール」がビジネスで使われることが当たり前になって来た時期です。角川さんが話していたのは、
「電子メールの普及で連絡が便利になって、仕事が早く片付くようになった。それで『余暇』ができて自由な時間が増えるかと思ったら、違った。『次の仕事』が前倒しになるだけだった」
という話でした。それを聞いて、当時も「そうそう!」と大きく頷いたものでした。
「加速」だけの世の中は、つまらない気がするんですけどねえ。どうでしょうか?
「未来を加速」させたら、
「丁寧な暮らし」
は、できませんよね。「丁寧な暮らし」を求める人たちは、やはりその頃に提唱されて注目された、
「スローライフ」
をするんですよね。「丁寧な暮らし」というのは「スローライフ」の言い換えという側面もあるかな。全く同じではないけど。
「6月10日」は「時の記念日」です。「時」について考えてみるか。


