その昔、「大阪」は、
「東洋のマンチェスター」
と呼ばれたそうです。私が「マンチェスター」と聞いて思い浮かべるのは、サッカー・イングランド・プレミアリーグのチーム、
「マンチェスター・ユナイテッド」「マンチェスター・シティー」
ですけど、今回の注目はそちらではなく、「東洋」のほう。つまり、
「『東洋の○○』とか『東洋一』という表現は、いつ頃生まれて、いつ頃まではやったのか?」
ということです。最近はあまり言わないでしょ、この表現。時代性を帯びていると思うんですよね。
「東洋」の反対は、当然「西洋」ですから、
「西洋の登場=明治維新」
以降に「東洋」という言葉が注目されたのではないか?と思います。
それが明治政府の「富国強兵」の結果「日清・日露戦争」の勝利で、「東洋一」になったと思って、さらに拡大方向で「日中戦争」「大東亜戦争(太平洋戦争)」になり、「西洋」を倒そうとして敗戦。しかしその後の「戦後復興」「右肩上がりの経済」で、再び「東洋一」の地位を得て、さらに「世界一」を目指し、バブル崩壊から「失われた30年」で経済成長が「右肩下がり」となる中で、物価を抑えて賃金も押さえる「停滞状況」。その間に、次々と他国に経済・その他で追い抜かれて、現在に至る、と。
「西洋医学」⇔「東洋医学」
「西洋絵画(泰西絵画)」⇔「日本画」
「東洋」は、英語では「orient(オリエントタル)。
「オリエンタルカレー」
「オリエンタルブーム」
「サウナ大東洋」「東洋ホテル」「東洋の魔女」「東洋一」「東洋医学」「東洋大学」
「西洋との対峙」
と、ここまで思いつくままに並べてみてから、「精選版日本国語大辞典」で「東洋一」を引くと、
*「東洋一」=東洋で一番であること。東洋で最もすぐれていること。【用例】*頭書大全世界国尽(1869)<福沢諭吉>一「香港は<略>商売繫昌土地にぎはひ東洋一(トウヤウイチ)の港なり」
ということで、一番古い用例が、
「1869年」=「明治2年」
やはり「明治維新」で鎖国が解除されて「文明開化」、「西洋文明」が入ってきた中で、対立概念の「東洋」が意識されるようになったのではないでしょうか?
「西洋」に「追い付け、追い越せ」となる中で「東洋一」も意識されたと。
そしてそれが達成されると、今度は視点が「世界」に向いて、あまり「東洋」は意識されなくなったのではないか?と。それは「日本」が地理的・歴史的に「東洋」にありながら、「脱・東洋」(=脱亜)を目指して「西洋化」を図った歴史の中で、「東洋一」の価値が下がっていって、あまり使われなくなったのではないか?
そうすると、日本の経済力(GNP、GDP)が「世界第2位」になったあたり以降、「東洋一」は、あまり使われなくなったのではないかなあ・・・という気がしました。
そうだ、「ボクシング」には、
「東洋チャンピオン」
があったのでは?と思って調べると、「東洋太平洋ボクシング連盟王者」つまり、
「東洋太平洋チャンピオン」
がありました。ボクシングの世界には、まだまだこれからの「のびしろ」があるということですかね。
余談ですが、
「東洋一」
と書いて、
「あずま(ひがし)よういち」
って人、きっといますよね?
・・・検索したら、トップに出て来たのが、
「東 洋一(あずま よういち)=1949年(昭和24年)は、日本の古生物学者、学芸員。博士(理学)(東京大学)。日本の恐竜研究の第一人者。福井県立恐竜博物館名誉顧問、福井県立大学名誉教授」
と、すごい人が出て来ました!やっぱりね!


