9667「天下の台所」

2024 . 12 . 3

9667

 

 

「大阪の街」の「形容詞」として、よく使われるものの一つに、

「天下の台所」

という表現があります。「天下の」とあるので、

「『江戸時代』からある表現かな」

と思いがちですが、大阪の街が、

「大(だい)大阪」

と呼ばれた時代(1920~30年代)にできたのかもなと思っていたところ、2008年2月21日「朝日新聞」の大阪市内版に、

「『天下の台所』創作 幸田露伴の弟」

という見出しの記事が載っていました。え!そうなの?文豪・幸田露伴の弟が作った言葉なのか!

・・・その記事を切り抜いておいたのですが、どこかになくしてしまいました・・・

 

それから、16年・・・

先日(2024年11月)、東京の商店街が、

「日本一長い商店街」

と名乗ったというニュースを「ミヤネ屋」でも放送しました。これは、実は前日夕方の読売テレビの番組「かんさい情報ネットten.」で取材・放送したものをベースにリメイクしたもので、その日の朝の「す・またん」でも放送されていました。その際に、これまで「日本一長い商店街」を名乗ってきた、

「天神橋筋商店街」

の反応も取材して放送していたのですが、その「天神橋筋商店街」を指して、

「天下の台所」

とも呼ばれたというテロップが出てきたので、

「ちょっと待った!」

をかけました。「天下の台所」は、

「大阪の街全体」

を指したもので、

「天神橋筋商店街だけのことではない」

からです。

そこで改めて書きかけのこの記事を思い出し、新たに調べたところ、「天下の台所」は、やはり、

「幸田成友(幸田露伴の弟)の造語」

でした。

「1914年(大正3年)」に「大阪市史第2巻」で初めて使われたそうです。

江戸時代の文献には、

「諸国の台所」「日本の台所」

とあったそうですから、江戸時代からそういった認識はあったのでしょう。そりゃあ、大阪は「北前船」が運んで来た食品・物資の最終集積地ですから、そこから諸国にそれを運んだので、そういう認識があったのでしょう。それを「大大阪」の時代(1920~1930年代)にあらためて取り上げて「天下の台所」と称したということなのでしょうね。あ、それ(大大阪)よりも「少し前」かもしれませんがね。

 

(2024、12、3)