「大阪の街」の「形容詞」として、よく使われるものの一つに、
「天下の台所」
という表現があります。「天下の」とあるので、
「『江戸時代』からある表現かな」
と思いがちですが、大阪の街が、
「大(だい)大阪」
と呼ばれた時代(1920~30年代)にできたのかもなと思っていたところ、2008年2月21日「朝日新聞」の大阪市内版に、
「『天下の台所』創作 幸田露伴の弟」
という見出しの記事が載っていました。え!そうなの?文豪・幸田露伴の弟が作った言葉なのか!
・・・その記事を切り抜いておいたのですが、どこかになくしてしまいました・・・
それから、16年・・・
先日(2024年11月)、東京の商店街が、
「日本一長い商店街」
と名乗ったというニュースを「ミヤネ屋」でも放送しました。これは、実は前日夕方の読売テレビの番組「かんさい情報ネットten.」で取材・放送したものをベースにリメイクしたもので、その日の朝の「す・またん」でも放送されていました。その際に、これまで「日本一長い商店街」を名乗ってきた、
「天神橋筋商店街」
の反応も取材して放送していたのですが、その「天神橋筋商店街」を指して、
「天下の台所」
とも呼ばれたというテロップが出てきたので、
「ちょっと待った!」
をかけました。「天下の台所」は、
「大阪の街全体」
を指したもので、
「天神橋筋商店街だけのことではない」
からです。
そこで改めて書きかけのこの記事を思い出し、新たに調べたところ、「天下の台所」は、やはり、
「幸田成友(幸田露伴の弟)の造語」
でした。
「1914年(大正3年)」に「大阪市史第2巻」で初めて使われたそうです。
江戸時代の文献には、
「諸国の台所」「日本の台所」
とあったそうですから、江戸時代からそういった認識はあったのでしょう。そりゃあ、大阪は「北前船」が運んで来た食品・物資の最終集積地ですから、そこから諸国にそれを運んだので、そういう認識があったのでしょう。それを「大大阪」の時代(1920~1930年代)にあらためて取り上げて「天下の台所」と称したということなのでしょうね。あ、それ(大大阪)よりも「少し前」かもしれませんがね。


