『怒りの葡萄(上)』(スタインベック・作、伏見威蕃・訳、新潮文庫:2015、10、1第1刷・2022、6、25第3刷)

2024 . 10 . 4

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夏休みに5年ぶりの海外旅行でアメリカに行った。

その際に、今は「州間自動車道」が出来たので廃止されたが、かつてはアメリカ繁栄の夢を支えたという、

「ルート66」

の終点の「サンタモニカ」にも行き、ラスベガスとグランドキャニオンの間のかつての「ルート66」も自動車で走ったという話をしたら、

「ああ、『ルート66』と言えば、スタインベックの『怒りの葡萄』ですね」

と産業医のT先生に言われた。もちろん、その作品の名前は知っていたが、恥ずかしながら読んでいなかったので、いい機会だから読むことにした次第。

1930年代のオクラホマで食い詰めた家族が、「ルート66」を通って西(カリフォルニア)へ仕事を求めて向かう話だ。文庫本・上下巻で1000ページもある。ようやく上巻を読み終えた。天国のような土地・仕事があふれている夢のような土地だと思っていたカリフォルニアが、近づくにつれて「実はそうではない」ということが薄々分かって来る。そこへ向かう途中に、おじいちゃんとおばあちゃんは死んでしまうが、埋葬する金もない。「家族」で動いているのだが、脱落者が出る。そういったところです。

カリフォルニアでは、他の州から来る者(移民)は恐れられ、嫌われている。これは現在のアメリカでメキシコなどからの移民が恐れ・嫌われているのと同じ構図だ。「オクラホマ」からの移民は「オーキー」と呼ばれ、差別されていると。この時代の「アメリカ合衆国」は、今以上に「一つの国ではなかった」のだ。

10月4日(きょうだ!)に公開される映画「シビル・ウォー~アメリカ最後の日」の予告編で、銃を向けられた人(白人)が、

「同じアメリカ人じゃないか」

というと、銃を持ったアメリカ人(白人)が、

「どの種類のアメリカ人だ?」

と聞き返すシーンがあったが、まさにこの「怒りの葡萄」に出て来るのは「そういうアメリカ」だなと思った。

そして、そういった国の状況を作りだしたのは、「行き過ぎた資本主義」(ここでは「西部銀行」)。利益が人の命よりも重い世界であると感じた。それは100年近く経っても、何も変わっていないのではないか?その意味で、この小説には「普遍性」がある。

 

 

 

(2024、9、30読了)