「ありつく」
という言葉が、
「『上から目線』で人を見下した感じがする」
という意見を耳にしました。
しかし、私はこの言葉は単に、
「長い間求めていたものを、ようやく得ることができた」
という場合に使うもので、特に「見下し感」はありません。たとえば、
「やっと食べ物にありついた」
「仕事にありつくことができた」
というような感じです。
ただ、この言葉は、
「自分に対して使うことが多い」
ので、
「他人に対して使われたときに、見下された感がする(ことがある)のではないか?」
というふうには感じました。
しかし、それはかなり「被害者意識が強い」ようにも思うのですが。
「ありつく」という言葉自体に罪はないと思います。まさに、
「TPОによる」
ということですね。それは、
「どんな言葉でも同じ」
ですね。
(2024、6、5)


