1月22日の日本テレビ「月曜から夜ふかし」で、東京から山形に子どもの頃に引っ越して来た人が、遊びの仲間に入れてもらうときの言葉が「山形」では、
「はーめーて!」
だったのに驚いたと言っていました。というのも、
「東京では『まーぜーて!』だったのに」
ということのようでした。
これと同じような体験を、私も57年前にしたのを覚えています。
当時、愛知県から大阪の堺市の幼稚園に変わった際、休み時間に「なわ跳び」の仲間に入れてもらおうと思ったのですが、恥ずかしいので小さい声で、
「いーれーて」
と言ったけれども、誰も振り向いてくれない。「声が小さかったかな?」と思って、もう少し大きな声でもう一度、
「いーれーて!!」
と言ったのに、誰も相手にしてくれない。その間に後から来た子たちが、どんどん、なわ跳びの仲間に入って行く。やっぱり転校生は差別されるのかな…と思って見ていると、どうやら他の子たちは「いーれーて」ではなく、
「よーしーて」
と言っているようです。アクセントは最後の「て」だけが上がる、
「ヨーシー/テ」
でした。当時の6歳の私にとって「よして」というのは、
「女性が『やめて』という意味で言う言葉」
という認識しかなく、そのアクセントも「頭高」の「ヨ\シテ」しかなく、「理解語彙」ではあったけれども、口にしたことのない「恥ずかしい言葉」でした。
それでも試しに、小さな声で
「よして」
というと、すぐに、なわを回していた子が振り向いて、
「うん、ええよ!」
と、仲間に入れてくれたのでした。それで私は、
「ああ、仲間外れにされているのではなく、言葉が通じなかったのだ。」
「堺では、仲間に入れてもらう時は『いれて』ではなく『よして』と言うのだ」
「地域によって、言葉は違うのだ」
ということを学んだのでした。
「よして」は「よせて」(寄せて)」が訛ったものですから、
「仲間に寄せて」
という意味ですね。
私が言葉に興味を持つようになった「きっかけの言葉」と言えるかもしれません。
そうこうしていたら4月16日の「日経新聞・夕刊」のコラムで、酒井順子さんが、
「『いーれーて』の季節」
というエッセイを書いていました。「ラーソーラー」というふしをつけて、
「やーめーて」
「いーれーて」
という2つの言葉を子どもが使うのは、その言葉の「重要性」と「言いづらさ」にあると。
「日本人はNOを伝えることが苦手」
「すでに出来上がっているコミュニティに後から一人で入っていくという事態は大人にとっても大変なこと」
この2つの事態に対処する言葉が、この2つだというのです。
酒井さんは私より5歳ほど年下ですが、ほぼ同世代と言っていいでしょう。以前からそのエッセイは興味深く拝読していましたが、今回改めて、
「同じような感性を持ってらっしゃる方だなあ」
と思いました。


