斎藤茂吉の「赤光」を読んでいたら、
「うつそみの 人の國をば 君去りて 何邊(いづべ)にゆかむ ちちははをおきて」
という「若くして亡くなった友人」について詠んだ歌が載っていました。この、
「うつそみ」
という言葉は、学生時代に歌った、三木稔作曲の「レクイエム」の歌詞の中に、
「うつそみのない魂が好むという」
と出て来ましたね。これは、
「うつしみ(現し身)」
と同じですよね。それと、
「うつせみ(空蝉)」
は、関係あるのかな?と思いました。
「現し身(うつし・み)」
「空蝉(うつ・せみ)」
「三省堂国語辞典・第八版」を引いてみたら、「うつしみ」「うつそみ」は、見出しがありませんでしたが、「うつせみ」は載っていました。そういえば「源氏物語」にも「うつせみ」は出て来ますよね。
*「うつせみ(空蝉)」=(雅語)(1)(この世が)はかないこと。(例)うつせみの世。(2)セミのぬけがら。【由来】もと「現(うつ)し臣(おみ)=この世に生きる人」のちに「うつせみ」に変化し、セミのぬけがらや、はかない世の意味が生まれた)
そうだったのか!じゃあ、
「うつしおみ」→「うつしみ」「うつそみ」→「うつせみ」
なのかな。
いやあ、勉強になるなあ。
・・・と思って「精選版日本国語大辞典」を引いてみたら「語誌」の2番目に、
(2)従来「うつしおみ」→「うつそみ」→「うつせみ」という語系変化が想定されてきたが、「うつしおみ」を「現実の臣下」と解釈すると、このつながりは説明できない。
とありました。
うーん、なかなか難しいですねえ。
(2023、10、16)


