中野京子『災厄の絵画史』(日経プレミアムシリーズ)を読んでいて、『第四章 中世の疫病~パンデミックと「死の舞踏」』で紹介されたピーテル・ブリューゲル「死の勝利」の解説の中に、
「蒼ざめた馬に乗った骸骨」(68ページ)
という一節がありました。この、
「蒼ざめた馬」
で思い出したのは、
『蒼ざめた馬を見よ』(五木寛之)
です。もう、読んだのかどうかも覚えていませんが(たぶん読んでない)、タイトルの印象が強いので覚えています。やはり、漢字が「青ざめた」ではなく、
「蒼ざめた」
なので、印象が強かったのでしょう。
もしかしたら、西洋では・・・つまりキリスト教国では、
「蒼ざめた馬」
というのが、何かの象徴として使われるのでしょうか?聖書に出て来るとか?知らないけど。
ところで「蒼」と「青」は、色としてどう違うのでしょうか?英語では、
「青」=blue
「蒼」=pale
という違いがあり、「pale」は、
「青白い」
ですね。だとすると、
「pale」=「蒼」=「青白い」=「血の気の引いた肌の色」=「白」
なのではないでしょうか?ということは、
「血の気の引いた」=「体調が悪い」=「死にそうな」=「すでに死んでいる」
といったことを表しているのではないでしょうか?つまり、
「蒼ざめた(馬)」=「青(ブルー)ではない(馬)」
ですよね。
そういえば、「白馬」を「あおうま」と言いますね。これは前に書いた覚えがあります。検索したら、
「平成ことば事情0981 白馬神事」(2003、6、1)
と出て来ました。おお、もう20年も前か。書いたのは覚えていますが、書いた内容は、すっかり忘れています。どれどれ。それによると『日本国語大辞典』を引いて、
*「あおうま(青馬、白馬)」
- 青毛の馬。毛の色が黒く、青みを帯びた馬。
- 白馬。また、葦毛の馬。
とあり、「あおうまの神事」も、項目【見出し】があって、
「奈良時代から朝廷での年中行事の一つ。(中略)(1月7日=人日【じんじつ】の節句に)青馬を見れば年中の邪気を除くという中国の故事によったもので、葦毛の馬あるいは灰色系統の馬を引いたと思われる。文字は『白馬』と書くが習慣により『あおうま』という。あおうま。あおばのせちえ。」
とありました。さらに、「語誌」のところには、
『(1)古代においてアヲは、黒と白との中間的性格を持つ範囲の広い色名で、灰色をもその範囲に含めていた。(2)一○世紀中頃より漢字文献において『青馬』から『白馬』へと文字表記が統一される理由については、本居宣長、伴信友は馬自体が白馬に換えられたからであるというが、室町時代の「江次第鈔―二・正月」に「七日節会<略>今貢葦毛馬也」、「康富記―嘉吉四年正月六日」の白馬奏毛付にも「貢葦毛」とあり、後世においても葦毛馬が使用されていたことが分かる。したがって毛色自体の変化というよりも、平安初期の「田氏家集―下・感喜勅賜白馬因上呈諸侍中」にも「○毛」(※○は、馬偏に「總」の旁を合わせた字です)の馬を「白馬」というように、灰色系統の色名の範囲が青から白に移行したことと、平安末期の「年中行事秘抄―正月七日」所引「十節」などに見える白馬に対する神聖視などから意識的に「白馬」の文字表記を選択したものと考えられる。』
と詳しく書かれ(それを写して書いてある)、「語源説」としては南方熊楠の「世諺問答・白馬の節会に就て」を引いて、
「白馬を青馬と呼んだのは、純白の色は青ざめて見えることがあることからか」
とも書いてあります。
でも私、20年経って思ったのは、
「動物の肌は、生きていると血が流れていて、それが少し透けるので『赤み』を帯びている。つなり『血の気』がある。しかし、その『血の気』が引いた状態は『白っぽく』見える。日本で、古代の色の区分は『赤・青・白・黒』の4種類で、『赤と青』『白と黒』が『対』になっていた。だから『赤ではない』=『青(蒼)』と表現されたのではないか?」
ということでした。


