8821「宣教と布教と伝道」

2023 . 1 . 13

8821

 

<16年前に書きかけたままでした>

2007年8月29日、タリバンによる韓国人拘束拉致事件で、拘束されていた19人の韓国人人質を40日ぶりに解放すると、タリバン側が表明したニュースが流れました。

8月8日の「日経新聞・夕刊」の記事「韓国人クリスチャン なぜアフガンに」(ソウル支局・鈴木壮太郎記者)によると、これらの韓国人は、

「宣教」

のためにアフガンに行ったとのこと。これで私が疑問に思ったのは、

「なぜ『布教』ではなく『宣教』なのか?」

ということです。

「宣教師」

は聞いたことがありますが、「宣教」には、何か違和感が。

「ウィキペディア」によると、

『宣教とはある思想や宗教を広める活動、特にキリスト教における活動を指す。同意語として『伝道』(主にプロテスタントなどで用いられる用語)や『布教』がある。』

また、その違いに関しては、

「宣教」=初めての所に、種をまくように教えを広める場合。

「布教」=既に種はまかれた後の場所で、教えを広めること。

と言う人もいました。

 

<ここから16年ぶりに書き続けます>

また「宣教」は、「主にキリスト教の布教」に使われるのは間違いなさそうです。「フランシスコ・ザビエル」をはじめとした、日本へやって来たスペイン・ポルトガル人たちも、

「キリスト教(カトリック)の宣教師」

でしたものね。

英語では、その違いはあるのか?英和辞典を引いてみたら、

「宣教」=missionary work (正式)propagation

「布教」=propagation (キリスト教の)mission

「伝道」=mission

「伝道活動」=missionary work

 

おんなじやん!そして「宗教」を広めるのも、

「プロパガンダ」なんですね!

そして、

「布教活動」=missionary work

これも「宣教」と同じだ。

「布教する」=spread

うーんまさに「種をまく」だなあ。

逆に英和辞典を引くと、

propagation」=布教活動、(思想の)宣伝

うーん…。

キリスト教の英語の日本語訳に関しては、『聖書の日本語』(鈴木範保)という本があったな。それを本棚から引っ張り出してきて見たら、明治初期のあの「ヘボン式ローマ字」のヘボンさんの「新約聖書」では、

「宣教」=preaching

「伝道者」=evangelisut

という単語と訳語が載っていました。

preach

を英和辞典で引くと、

「(1)(人に教義・福音などについて)(公の場で)説教する、伝道する。(2)(人に信仰・信念・生き方などについて)説き勧める」

とあり、

preacher

は、

「(1)(プロテスタントの)牧師、説教者。(2)主張(唱道)者」

とありました。

「伝道者」は、その後も「口語 新約聖書」まで続いていましたが、1978年の「新約聖書 共同訳」では、

「宣教者」

に訳語が変わっています。

「伝道師」「宣教師」とは言いますが「布教師」とは言いませんね。

ここで国語辞典を引いてみましょう。『広辞苑』を引くと、

「宣教」=宗教をのべひろめること。

「布教」=宗教を広めること。

「伝道」=主にキリスト教で、その教旨を伝え宣(の)べて未信仰者に入信を促すこと。ミッション。

うーーーん…。

では『精選版日本国語大辞典』を引くと、

「宣教」=教えを伝えひろめること。特に、キリスト教で、神から委託されるところの宣言を、すべての人に、権威をもって、述べ伝えること。布教。

「布教」=教理を教え広めること。特に宗教を一般に広め伝えること。伝道。

「伝道」=(2)教義を伝えひろめること。特にキリスト教では、イエス-キリストの福音を、未知未信の人びとに、述べ伝え、その人びとを信徒とする教会の仕事をいう。布教。宣教。

 

「伝道」「布教」は「仏教」などでも使えそうですが、「宣教」は「キリスト教専用」のようですね。

結局、明確な違いは判らずじまいでした。

 

(2022、1、12)