昨年10月にNHKのEテレで、2回にわたって1時間ずつ放送された討論会をまとめたもの。出演者は、以下の6人メンバー。いずれも宗教関係の“権威”である。
島薗進(宗教学者、東京大学名誉教授、日本宗教学会・元会長:1948年生まれ)
釈徹宗(浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学学長:1961年生まれ)
若松英輔(批評家・随筆家、2019年第16回蓮如賞受賞:1968年生まれ)
櫻井義秀(専門は宗教社会学、北海道大学教授、日本脱カルト協会顧問:1961年生まれ)
川島堅二(専門は宗教思想、東北学院大学教授、日本脱カルト協会顧問:1958年生まれ)
小原克博(専門はキリスト教思想、同志社大学神学部教授、1965年生まれ)
いま、日本でカルトが問題になるのは、1970~80年代にカルトが流行した、その時に若者だった人の子どもたちの世代が「カルト二世」になっているからだという。
そもそも「カルト」とは?
若松氏によると、「カルト」を定義するものは「3つ」。
(1)恐怖
(2)搾取
(3)拘束
だという。なるほどなるほど。
宗教は、一歩間違えると「カルト」になる危険性をはらんでいるという。いろんな「団体・グループ」を考える際に、これは注意しないといけない。
また、釈氏によると、本来、宗教は毒や棘(トゲ)を持っている。それを社会とせめぎ合いながら、さまざまなリミッターやストッパーを設定していくと。しかし「カルト」は、そういうものを意図的に設定せず、聖なる力を利用して日常をつぶす残虐さ、悪質さのようなものを持っていると感じるのだそうだ。
そして、小原氏によると、「政教分離」を標榜する我が国だが、そもそも明治維新で国の形を作る際に、「大日本帝国憲法」は「ドイツ」の憲法をモデルにした。当時のドイツでは統治機構の頂点に「皇帝」が存在した。視察に行った岩倉具視は「これは使える」と、それをまねて、日本は「天皇」を頂点とする統治機構を作った。
そして、国家を近代化する際にまず行うのは「軍備」、「徴兵制」。戦争が起きると兵が死ぬ。その兵たちを弔う施設が必要になる。そこで、国が追悼の儀式を行う。こういった流れは、敗戦(終戦)でいったん途切れ、「日本国憲法第20条」で「政教分離」がうたわれた。
これを読んで「戦前・戦後」というけど、本当はその間に「戦(時)中」があるよなと思いました。これは昔、書いたと思うけど。その「戦」の意味が違うのだということに、改めて気付づいた。つまり、
「戦前・戦後」=「終戦前・終戦後」(敗戦前・敗戦後)の「終」「敗」を省略した形。
「戦前・戦中・戦後」=「開戦前・戦時中・終戦後(敗戦後)」の「開」「時」「終・敗」を省略した形。
で、特に大きな違いは「戦前」で、
「開戦前」なのか「終戦前(敗戦前)」なのか、基準点が全く違うという点ですね。あら、話がそれた。
全体を通しては、「政教分離」の意味を本当に理解するためには「宗教教育」が必要だということ。「形だけの政教分離」の中で、
「宗教が政治を取り込もうとしている実態」
が明らかになった現在、その原因は、
「国民の宗教への無関心・無理解にあるのではないか?」
ということを主張しているのではないかなと思いました。


