「2022読書日記115」で読んだ『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著・三浦みどり訳)と同じ著者による作品なので「読書数珠つぎ」で読んだ。『戦争は女の顔をしていない』が「独ソ戦」に参加した女性兵士への聞き取りだったのと同じく、こちらは「チェルノブイリ原発事故」の被害に遭った、風下のベラルーシの人たちや、原発事故の後始末に向かわされた兵士や消防隊員たち、その家族(遺族)への聞き取り。
『戦争は女の顔をしていない』は「三浦みどりさん」の翻訳で「ウ濁のヴ」を使った、
「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ」
という著者名の表記だが、この『チェルノブイリの祈り』は「松本妙子さん」の訳で、「ウ濁のヴ」を使わない、
「スベトラーナ・アレクシエービッチ」
になっているが、これに関しては「あとがき」で「あえて、そうした」と注記してあった。
こういう、テレビで言えば「ドキュメンタリー」のような作品がノーベル文学賞を得たのは、「語り部」の話を残すような「歴史書」、それは「日本書紀」や「古事記」、あるいは柳田国男の作品のような価値があるのだろうなと思った。
この本の単行本が出たのは1998年、文庫版が出たのは2011年6月。当然「東日本大震災」による「福島第一原発の事故」を受けてのことだ。あれから11年がたつが、「何も終わっていない」ことは、この本を読めばよくわかる。電力不足で、政府はまたぞろ「原発」に舵を切り始めた。本書は今、読むべき本だろう。
(2022、12、1読了)


