ちょうど今から1年前の「2021年10月12日」、用語懇談会の席で、他社の委員からこんなことを指摘され、それをメモしていました。
「開いた口が塞がらない」
という言葉の意味に関してです。
「『開いた口が塞がらない』という言葉は『あきれてしまったとき』に使われる言葉で、『広辞苑』にも1番目の意味ではそれが載っているが、2番目の意味では『うっとりしている状態。我を忘れたさま』として、浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵(1748年)』から用例を取っている。」
その時は、
「え?そうなの?『うっとりとした』ときに『開いた口が塞がらない』なんて、現代では言わないよね」
と思いました。それによく見ると、
「開いた口が塞がら“ない”」
ではなく、
「開いた口が塞がら“ぬ”」
ですから。これは「現代口語」ではなく、
「文語での意味」
なのではないのでしょうか?
そう思ったのですが、1年間ほったらかしになっていました。
遅ればせながら、ここで他の辞書も引いてみましょう。
『精選版日本国語大辞典』は、「見出し」も「語釈の順番」も「用例」も『広辞苑』と全く同じでした。
『三省堂国語辞典・第八版』は、
「開いた口がふさがらない」=おどろきあきれて、何も言えなくなるようす。(例)応対のひどさにーー」
として「あきれた」ほうしか載せていませんでした。
『明鏡国語辞典・第三版』も、
「開いた口が塞がらない」=あきれてものが言えない。(例)あまりのかばかしさにーー
と書かれている上に、【注意】として、
「素晴らしい活躍に驚く意で使うのは誤り。(例)×ホームランの連発に開いた口がふさがらない」
とまで、わざわざ書いてありました。ということは、やはり、
「今はこういう使い方はしない」
ということですね。それでも「注意書き」をするということは、
「今でもそういう使い方をする人がいる」
ということかな?「ヤクルトの村上宗隆選手」なんかに使うの?いやあー、それはないですよねえ。もし使う人がいたら、それに対して私は、
「開いた口が塞がらない」
ですが。
つまり結論としては、
「江戸時代には『うっとり』する様子を指して『開いた口が塞がらない』と言ったこともあったが、現代においては『あきれた様子』を指してしか使わない」
ということで、よろしいんじゃないでしょうか。「うっとり」の意味は載せないのが正解。もし、載せるのであれば「文語」とか何か、
「注意書きをする必要がある」
と思います。勘違いする人が出てくるといけないので。