9月1日の日本テレビ「スッキリ」で、福岡の5歳児餓死事件の裁判を取り上げ、碇利恵被告の「ママ友」の「赤堀恵美子被告」の発言に関して、裁判を傍聴したリポーターが、自らのメモを基に報告していました。
それによると、きのう(8月31日)の裁判のポイントは、
「碇被告が恐れていた、暴力団とつながりのあるボス(女性)」
に関して、赤堀被告が、
「ボスは、碇被告が思いを寄せている男」
と証言したところだそうです。
え?男???
ということで、リポーターによると法廷には、
「無言のざわめき」
が起きたというのです。
言いたいことは分かりますが、私はそれを聞いて、
「ざわめきが“無言”?」
と引っかかりました。さらに検察側が、
「LINEでは、ボスのことを『彼女』と書いているではないか」
と問い詰めると、赤堀被告は、
「でもボスは『男』。LINEは碇被告から『女の名前にして』と言われた」
と答える。うーん、普通はこんなに話が変わっては、信用できませんよね。
さらに赤堀被告が、
「碇被告が、翔士郎ちゃんに暴力を振るっているのを見た」
と言った時に、傍聴席からまた、
「無言のざわめき」
が起こったとのこと。
法廷では、傍聴者は発言を認められていないので、「無言」でしょうね。
でも、「舞台」(演劇)の背景の人々のように、声には出さないけれども、
「話しているような動作」
をしていたら、これは、
「無言のざわめき」
になるのかもしれません。しかし、それはそういった「比喩的な表現」ではなく、
「具体的に表現するべき」
なのではないでしょうか。「無言のざわめき」という表現は「非常に主観的」で、
「実際にはどのような状態であったかが、よくわからない」
のです。似た言葉には、
「静かなブーム」
というのがありました。「静か」だったら「ブームではない」のではないか。
「無言」だったら「『ざわめき』ではない」のではないか。
昔、ラジオ中継を聞きながら甲子園で高校野球の取材をしていた際に、2塁打を打った選手のことを、ラジオの実況アナウンサーが、
「ガッツポーズ!」
と言ったのですが、実際に見た選手は、
「ガッツポーズをしていなかった」
ということがありました。そのアナウンサーに直接、その理由を聞くことはできませんでしたが、恐らく彼は、
「心象風景の実況」
をしていたのでしょう。「スポーツ」、しかも「ラジオ」ならば、そういった「創作」は許されるのですね。でもテレビで、「法廷」に関する表現には「心象風景の実況」を持ち込んでは、いけないんじゃないかなと思いました。


