「ミヤネ屋」のパネルに、
「水行」
という言葉が出てきました。こういう簡単な漢字の読み方が、意外と難しいのです。
この中の「水」は、
「すい」「みず」
どちらでしょうか?
「みずぎょう」
ですね。澤口アナウンサーが間違って読まないように、大丈夫だと思うけど念のため、
「みずぎょう」
とルビを振っておこうっと、とADさんに指示したところへ澤口アナウンサーが、
「道浦さん、これ『すいぎょう』『みずぎょう』どっちでしょうか?」
と質問してき着ました。ほーらね!
「それは『みずぎょう』だね。『すいぎょう』って読んだら『水餃子(すいぎょうざ)』みたいだろ」
と答えました。
これ以外に「みず」と読むのが正しいけど、つい「すい」と呼んでいまいがちなものに、
「水資源」
があります。これは、
「みずしげん」
なのですが、結構多くの人が、
「すいしげん」
と読みそうな気がします。私も30年ほど前には「すいしげん」だと思っていました。
「水」の読み方は、「みずもの」です。手から「水」が漏れることもありますので、慎重に「水も漏れないように」確認しないといけませんね。
ということで、改めて辞書を引いて調べてみたら、
『新明解国語辞典・第七版&第八版』(2012&2020)
『岩波国語辞典・第七版&第八版』(2009&2019)
『明鏡国語辞典・第二版&第三版』(2011&2021)
には、
「みずぎょう」「すいぎょう」
共に見出しがありませんでした。あれ?なぜ?
『広辞苑・第六版&第七版』(2008&2018)は、
「すいぎょう」
だけ載っていました。
そして『三省堂国語辞典・第七版&第八版』(2014&2022)も「見出し」は、
「すいぎょう」
しかなく、その語釈の中に、
「みずぎょう」
とも書かれてはいましたが、「みずぎょう」の見出しはありませんでした。
そして、2007年に出た『三省堂国語辞典・第六版』には、「すいぎょう」「みずぎょう」ともに見出しは載っていませんでした。意外と新しい言葉なのかな?
『精選版日本国語大辞典』を引くと、「すいぎょう」「みずぎょう」共に載っていました。
*「すいぎょう」=心身の鍛錬や神仏への祈願などのため、水を浴びて身を清めること。水の苦行。みずぎょう。*歌舞伎・櫓太鼓鳴音吉原(1866)三幕「一心不乱に島蔵が師匠の病気直(ママ)さんと、水行(スヰギャウ)なすこそ頼もしき」
*「みずぎょう」=神仏への祈願などのために寒中、水垢離(みずごり)を取って行を勤めること。すいぎょう。*雑排・柳多留一二二(1833)「水行の日向を歩行未練者」
用例は「みずぎょう」のほうが「30年ほど古い」ですが、あまり変わりませんね。どちらの読み方もあったのですね。ということは、結論としては、
「どちらでもよい」
のかな?
グーグル検索では(7月20日)
「水行」 =577万0000件
「水行・すいぎょう」= 2万5700件
「水行・みずぎょう」= 2万2600件
でした。件数はあまり変わりませんね。
「すいぎょう」の用例は、「ふりがな文庫」というサイトによれば、
https://furigana.info/w/%E6%B0%B4%E8%A1%8C
泉鏡花「妖魔の辻占」の「1件」。全部「新字旧仮名」にしています。
「あはれ、殊勝な法師や、捨身の水行(スヰギャウ)を修すると思へば、蘆の折伏す枯草の中に籠を一個差置いた。が、鯉を遁した畚でもなく、草を刈る代でもない。」
一方「みずぎょう」の用例は、「ふりがな文庫」によれば「4件」。
「皿小鉢を洗うだけでも、いい加減な水行(ミズギャウ)の処へ持って来て、亭主の肌襦袢から、安達ヶ原で血を舐めた婆々の鼻拭の洗濯までさせられる。」(「卵塔場の天女」泉鏡花)
「そして水行(ミズギャウ)を済してからゆっくり晩飯という段取は、講中には誂向きに出来ているがお相伴の私には、千松ほどでなくとも可なりつらい辛抱でありました。」(「木曾御岳の話」木暮理太郎)
「ここにはこともなげに書いてあるが、冬の最中に、百日も百五十日も水行(ミズギャウ)をする、そういうことは、剣術遣いの勝なればこそやれるが、おれにはできぬ、なかなか荒行をやる。(「大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名)」中里介山)
「大いに稼ぐけれども、貧乏直しに百日間の水行(ミズギャウ)などをやらなければならなかった。」(「安吾史譚:05 勝夢酔」坂口安吾)
ということで、泉鏡花は「すいぎょう」「みずぎょう」、両方使っているのですね。
ついでに「水資源」は『広辞苑・第七版』に、
「みずしげん」
で載っていました。
「水資源」 =648万0000件
「水資源・すいしげん」= 1300件
「水資源・みずしげん」= 968件
でした。


