普通、
「来店」
という言葉は、「お店の人」が、
「お客さんが来店された」
というように使います。つまり、
「店に来た」「店に来られた」
という「向こうから来られた」という
「第三者の目線」
です。しかし、最近ネットなどでは、
「自分がラーメン店Aに行った」
ことを指して、
「話題のラーメン店Aに来店」
というように、
「自らの行為について使う例」
が出て来ているそうです。
でも、やはりこれはおかしいですよね。バイデン大統領が日本に来たとして、
「ついに来日」
と自分で言うか?と考えればわかりますね。
「ついに日本に来た」
とは言うかもしれませんが、「来日」とは言わない。あくまでもこれは、
「他人が客観的に使う言葉」
ですよね。
「店に来た」
は主語が「自分」でも「相手(来られた店側)」でも使えるのに、なぜ、
「来店」
は、「相手(来られた店側)」にしか使えないのか?について考えてみました。
「来る」の「逆」は、「行く」
「来た」の「逆」は、「行った」
ですね。つまり、自分で使う「来た」は本来、
「やって来た」
であり、その「やって」部分を「省略」して「来た」になっているのではないでしょうか?省略された「やって」は「行く」の意味で「その行為の結果」が、
「『着いた』という意味の『来た』」
なのではないでしょうか?
『精選版日本国語大辞典』で「来る」を引くと、いくつか意味が記されています。
- こちらに向かって近づく。また、ある場所、ある時期に向かってそこに至る。
- 空間的に近づく
- 時間的に近づく
(2)(目的地を主体にしたいい方で)そちらへ行く。
以下、(11)までありますが省略。
これですね「(2)の意味」。「来る」と言いながら、その意味は「行く」。これって、
「やりもらい表現」
に似てますね。二者間での関係。
「やる」⇔「もらう」
と同じように、「来る」と「行く」も、
「来る」⇔「行く」
どちらの視点を取るかで、同じ動作の呼び方が変わるのですね。
分かったような、分からないような。まだまだ考えないといけない表現ですが、きょうは、このへんで。


