8588「来店」

2022 . 7 . 21

8588

 

 

普通、

「来店」

という言葉は、「お店の人」が、

「お客さんが来店された」

というように使います。つまり、

「店に来た」「店に来られた」

という「向こうから来られた」という

「第三者の目線」

です。しかし、最近ネットなどでは、

「自分がラーメン店Aに行った」

ことを指して、

「話題のラーメン店Aに来店」

というように、

「自らの行為について使う例」

が出て来ているそうです。

でも、やはりこれはおかしいですよね。バイデン大統領が日本に来たとして、

「ついに来日」

と自分で言うか?と考えればわかりますね。

「ついに日本に来た」

とは言うかもしれませんが、「来日」とは言わない。あくまでもこれは、

「他人が客観的に使う言葉」

ですよね。

「店に来た」

は主語が「自分」でも「相手(来られた店側)」でも使えるのに、なぜ、

「来店」

は、「相手(来られた店側)」にしか使えないのか?について考えてみました。

「来る」の「逆」は、「行く」

「来た」の「逆」は、「行った」

ですね。つまり、自分で使う「来た」は本来、

「やって来た」

であり、その「やって」部分を「省略」して「来た」になっているのではないでしょうか?省略された「やって」は「行く」の意味で「その行為の結果」が、

「『着いた』という意味の『来た』」

なのではないでしょうか?

『精選版日本国語大辞典』で「来る」を引くと、いくつか意味が記されています。

  • こちらに向かって近づく。また、ある場所、ある時期に向かってそこに至る。
  • 空間的に近づく
  • 時間的に近づく

(2)(目的地を主体にしたいい方で)そちらへ行く。

以下、(11)までありますが省略。

これですね「(2)の意味」。「来る」と言いながら、その意味は「行く」。これって、

「やりもらい表現」

に似てますね。二者間での関係。

「やる」⇔「もらう」

と同じように、「来る」と「行く」も、

「来る」⇔「行く」

どちらの視点を取るかで、同じ動作の呼び方が変わるのですね。

分かったような、分からないような。まだまだ考えないといけない表現ですが、きょうは、このへんで。

 

(2022、7、20)