『侏儒の言葉・西方(さいほう)の人』(芥川龍之介、新潮文庫:1968、11、15第1刷・2012、10、25第70刷改版・2019、12.15第74刷)

2022 . 4 . 28

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「2022読書日記」の始めの方でまとめて読んだ『ミステリと言う勿れ 第6巻』(田村由美、小学館)の「4巻」で、マルクス・アウレリウスの『自省録』が出てきて、驚いて思わず本屋で『自省録』を買って読んだのだが、読んで思ったのは、

「これは芥川の『侏儒の言葉』、あるいはビアスの『悪魔の辞典』ではないか!」

ということで、『侏儒の言葉』を読んでみた。

恐らく中学時代に読んで以来だ。当時は、訳も分からず読んだと思うが、もう充分、大人になってから読むと、滋味深いものがある。後ろの「注釈」も合わせて読む。

 

*「輿論(よろん)」=輿論は常に私刑であり、私刑はまた常に娯楽である。たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても。

~今なら「新聞の記事」が「SNS」になるのね。あるいは「文春の記事」か。

*「神」=あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。

~こう言った(書いた)芥川が「自殺」をしたのは、“神への当てつけ”か?または“持論の証明”か?

しかしこの本の後半に載っている「西方(さいほう)の人」とは「イエス・キリスト」を刺し、かなりキリスト教への傾倒が感じられるのに、なぜ自殺を?

*「自由」=誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実は誰も肚(はら)の底では少し自由を求めていない。

~そうかもしれない、いや、そうだろう。フロムの『自由からの逃走』は、正にその事実を示している。「自由」を求める者は、ごくごく少数者なのだ。

 

あとは実際に読んでみてください、薄っぺらい文庫本ですから。

「寸鉄人を刺す」

ということですねえ。

 

 

 

(2022、4、17読了)