4月11日の読売テレビのお昼の関西ローカルニュースで、奈良・法隆寺夢殿で国宝の、
「救世(くせ)観音像」
の公開のニュースがありました。この「救世観音像」は、
「聖徳太子の姿を写した等身像」
と言われているそうです。そのニュース原稿の最後に、
「朝早くから訪れた観光客らは観音像に手を合わせ、在りし日の聖徳太子に思いを馳せていました」
という一文が出て来たのですがこの、
「在りし日の聖徳太子に思いを馳せて」
が引っかかりました。
「在りし日の」
というのは、
「生前の=生きていた当時の」
という意味ですが、普通は、
「その生きていたときに接したことがある人」
に使うのではないでしょうか?
聖徳太子に「生で」会ったことある人が、いま、生きているはずもないので、ちょっと違和感があるんですよねえ。
みんな、気にならないのかな?
(2022、4、11)


