8424「在りし日の姿」

2022 . 4 . 12

8424

 

 

4月11日の読売テレビのお昼の関西ローカルニュースで、奈良・法隆寺夢殿で国宝の、

「救世(くせ)観音像」

の公開のニュースがありました。この「救世観音像」は、

「聖徳太子の姿を写した等身像」

と言われているそうです。そのニュース原稿の最後に、

「朝早くから訪れた観光客らは観音像に手を合わせ、在りし日の聖徳太子に思いを馳せていました」

という一文が出て来たのですがこの、

「在りし日の聖徳太子に思いを馳せて」

が引っかかりました。

「在りし日の」

というのは、

「生前の=生きていた当時の」

という意味ですが、普通は、

「その生きていたときに接したことがある人」

に使うのではないでしょうか?

聖徳太子に「生で」会ったことある人が、いま、生きているはずもないので、ちょっと違和感があるんですよねえ。

みんな、気にならないのかな?

 

(2022、4、11)