女優・高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』(文春文庫)を読みました。めちゃくちゃおもしろかったです!
これは『週刊朝日』の昭和50年(1975)11月21日号から昭和51年(1976)5月14日号まで連載され、昭和51年(1976)5月に単行本が出たもので、昭和55年(1980)に出た文庫版は、沢木耕太郎さんが解説を書いています。
つまりこの本には、戦前~戦後の高度成長期を生きて来た女優の、1975年ごろまでの言葉遣いがたくさん使われていて、その意味でも、大変興味深いのです。
その中で見つけた言葉を、一つ一つ紹介していきましょう。まずは、
「生きざま」
です。成瀬巳喜男監督との思い出について書かれた「イジワルジイサン」(347ページ)に、林芙美子の原作が映画化された『放浪記』に関してこう書かれています。
「文学少女の執念と、その生きざまを描こうとしたのに対して」
最近はもう定着したからか、あまり何も言われなくなりましたが、20年ぐらい前まではこの、「生きざま」という言葉の評判は、大変悪かったのです。いわく、
「『ざま』というのは『死にざま』『ざまを見ろ』のように悪いニュアンスで使うものだから『生き様』というのは気持ちが悪い。間違いだ。『生き方』と言うべきだ」
という主張があったのです。『放送で気になる言葉2011』(日本新聞協会)でも、64ページに「『はやり』の言葉・鼻につく言葉」として、
*「生きざま」=「死にざま」に対する語として生まれてきたものだろうが、語感がよくないと気にする人もいる。放送では乱用は避けたい。」
とあります。しかし、私はというと、
「生きること自体は、そんなにカッコイイものばかりではないから『生きざま』でもいいのではないか」
と思っていました。
まさにこの「女優・高峰秀子サン」も「作家・林芙美子サン」も、「生き方」という観念的な理想ではなく、もがいてもがいて闘って「生きざま」と呼ばれるのにふさわしい“ストラッグル(struggle)”を繰り返して来たのではないか?と思うのです。
(何でまた、ここで「ストラッグル(struggle)」=「闘争・葛藤・もがき・あがき」などという言葉が、突然浮かび上がってきたのだろう?)
この「生きざま」という表現は、昭和50年(1975)当時は、批判されなかったのでしょうかね?
『精選版日本国語大辞典』を引くと、なんと初出は、
「1931年(昭和6年)」
でした。中村憲吉『軽雷集』の中の「疎音多罪」から、
「村びとの己がじしなる生きざまに日々にしたしむ寂しみながら」
とありました。結構、昔からある言葉なのですね。


