8141「なんなら」

2021 . 7 . 14

8141

 

 

「2021読書日記066」に書いた、ジェーン・スーさんの、

『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)

の中に、

「なんなら」

という言葉の、従来とは違う使い方が「2か所」ありました。

【1】「家が焼かれてなくなった。それは悲惨以外のなにものでもない。しかし、今日も明日も生きていかねばならない。だから焼夷弾に焼かれた茄子を家族で食べる。私なら二度と茄子を見たくなくなるが、なんなら焼茄子は父の好物だ。私たちは親子だが、生きる強さがまるで違う。」(83ページ)

【2】「修学旅行や友達との夏の旅行、果ては出張まで、『まず非常口と避難経路を確認しろ』と父は口を酸っぱくして私に言った。なんなら、まだ言っている。火事が心配なのだそうだ。(228ページ)

です。さらに、7月10放送のFM大阪「スナック・ラジオ」を聞いていたら、

【3】「なんなら、全部(お菓子を)持って帰ろうとしてたね。」

とリリー・フランキーさんが話していました。

日本人なのに「ジェーン」とか「リリー」とかいう芸名・ペンネームの人だから使うのか?ということはなく、それ以外の人でも使っていますよね、この、

「なんなら」

という言葉の新しい(?)使い方。

前から少し気になっていましたが、まあ、私はこういう使い方をしないし、それほどは耳にしなかった、目にしなかったのですが、ここにきて、急に気になるようになったのです。

まずこの3つの例を見てみましょう。

ジェーン・スーさんの例ですが、

【1】「焼夷弾に焼かれた茄子を家族で食べる。私なら二度と茄子を見たくなくなるが、なんなら焼茄子は父の好物だ。」

この「なんなら」は、「私なら二度と見たくなくなるはずの茄子」が、父の場合は、

「見たくなくなるどころか、逆に好物であるぐらい、私と父では生きる強さが全く違う」

という意味ですね。つまり、

「それどころか」

という言葉に置き換えられそうです。

次に、

【2】「『まず非常口と避難経路を確認しろ』と父は口を酸っぱくして私に言った。なんなら、まだ言っている。」

この「なんなら」は、

「子どもの頃から口を酸っぱくして非常口を確認しろと言って来た父。さすがにわつぃも四十代になったのでもう言わないかと思いきや、この期に及んでいまだに言っている」

という感じですかね。そうすると、

「この期に及んで、いまだに」

という感じですかね。

そしてリリー・フランキーさんの

【3】「なんなら、全部(お菓子を)持って帰ろうとしてたね。」

という発言は、番組アシスタントのBABI(バビ)さんは、他人の家に来る時にいつもお土産(のお菓子)を持って来ないくせに、そこにあるみんなが持って来たお菓子は全て食べ散らかした上で、もしお菓子が残っていたら持って帰ろうとするぐらいの勢いだ」

という意味。これはラジオを聞いていないと、わからないかもしれませんが。

ということで、この「なんなら」を言い換えると、

「あわよくば」

ぐらいの感じですかね。

ネットを検索してみたらNHK放送文化研究所のサイトで、すでに2年前の2019年71日に、塩田雄大さんがアップしています。さすが塩田さん、この手の言葉への反応が早い!

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20190701_12.htmlQ

それによると、

Q)「カレーがほんとに好きで、なんなら毎日食べてます」というような言い方、どうもどこかひっかかります。

A)このところ、「なんなら」ということばの新しい使われ方が、急速に広まっているようです。

 

として、伝統的な「なんなら」の意味を「大辞泉・第二版」(2012)から引いて、

「なん‐なら【何なら】」[副]《「なになら」の音変化》

  • 相手が実現を希望していることを仮定する気持ちを表す。もしよければ。「-私のほうからお電話しましょう」
  • 相手がそれを希望しないことを仮定する気持ちを表す。気に入らないなら。「ビールが-日本酒にしましょう」

と記して伝統的な「なんなら」は、

「相手のために何かを提案する」

という文脈で使うのが主流ではないかと記しています。

ところが新しい用法は、

「提案とは関係のない文脈で使われる傾向が強い」

と分析しています。具体的には、従来の用法・伝統的用法では、

「あしたは朝寝坊していいよ。なんなら、昼過ぎまで寝ててもいいよ。」

というように「朝寝」の度合いを「昼過ぎまで」に延長・強調して、

「許容の提案」

する「前向きのベクトル」を感じ、また、

「うまくできなくてもかまいません。なんなら、お手伝いしましょうか。」

に関しては、「もしよかったら」「もしあなたが許すなら」と「許可」を求める、

「仮定の提案」

ですね。それに対して、近年多い用法は、

「彼はいつも朝寝坊だ。なんなら、昼過ぎまで寝ていることもある。」

というように、下手をすると、

「行き過ぎを咎めているニュアンス」

あるいは、

「あきれ果てたニュアンス」

がある「後ろ向きのベクトル」を感じさせ、

「うまくできなくても構いません。なんなら全くできなくても大丈夫です。」

のほうは、

「もし、ダメならダメでいいよ」

という「許容」「下限」を示している感じがします。

塩田さんは参考文献として、

島田泰子「副詞「なんなら」の新用法」(『二松学舎大学論集』61、2018年)

という論文を挙げています。

「なんなら」、今後も注目していきます!

 

(2021、7、14)