「無観客試合」
という言葉が「コロナ下」で定着したことを受けて、「観客を入れる・入れない」に関して、
「有観客」
という言葉が生まれました。まさに、
「無から有が生まれた」
のですね。
そもそも、プロに限らずスポーツは、有料か無料かにかかわらず「観客がある」のが当たり前だったのですが、新型コロナウイルス流行前から、サッカーなどではたまに、
「無観客試合」
というのが行われていました。(平成ことば事情2430「無観客試合」)
それによると2005年4月29日、FIFA・国際サッカー連盟は、3月30日にピョンヤンで行われたワールドカップ・アジア最終予選の「北朝鮮-イラン戦」で、観客が暴徒化するなどの混乱が生じたことで、北朝鮮に対してホーム主催試合の開催権剥奪と観客の入場禁止処分という重い処分を決定しました。これで、北朝鮮で6月8日に予定されていた最終予選の「北朝鮮-日本戦」は「第3国の中立地で、無観客で実施」されました。これを指して「無観客試合」という言葉がマスコミで出た、ということでした。私が「無観客試合」というものを見たのは、これが初めてでしたが、2004年12月の欧州チャンピオンズリーグ「ローマ対レアルマドリード戦」は、サポーターの不祥事で、ホームのローマが「無観客試合」の制裁を受けたそうです。また、2005年の4月15日のテレビ朝日「報道ステーション」によると、「保安上の理由」で、ハンドボール東アジア選手権での「日本対中国戦」が「無観客試合」になったとのことでした。
このように「無観客試合」は、
「何かの制裁処分」
として「ごくまれに」行われるものでした。
しかし新型コロナウイルスの流行により、観客を入れない「無観客」での開催が、
「デフォルト(標準・基本)」
になったことによって、「本来デフォルト」であった「観客を入れての試合」が「特別な意味」を持つようになり、それに対して、
「名前を付ける必要性」
が生じたと。そこで出て来たのが
「有観客」
という言葉でした。文字面で「無観客」の対として「有観客」なのは「自然」ですが、これを読むときに「音読み」で、
「ユウカンキャク」
と読むのは「不自然」です。
「観客有りで」「観客を入れて」
等と読み換えるのが「自然な態度」だと思いますが、いかがでしょうか?
これについては、毎日新聞のツイッター「毎日ことば」でも「6月15日」に取り上げていました。そこでは、
「無観客に慣れつつある状況ではあえて『有』をつけることも、一種の強調表現として認められるのでしょうか。」
と疑問を呈していました。
グーグル検索では(6月21日)
「無観客」 =2150万0000件
「有観客」 = 529万0000件
「無観客開催」= 144万0000件
「有観客開催」= 68万5000件
でした。
とここまで書いて、このテーマについて「6月10日」に既に書いていたことに気付きました。(UPはしていなかった)
ここに転載します。
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【2021、6、10】
「無観客試合」
などで慣れている「無観客」という言葉ですが、間近に迫った東京五輪の試合・競技に、
「観客を入れるかどうか」
が問題になっています。いや、本来は、
「五輪をやるのかどうか」
が根本の問題なのですが。
それはさておき、もし「やる」となった場合に「観客を入れるのかどうか」で、
「観客を入れない」
のならば
「無観客」
なのですが、それと対比する形で、本来の、
「観客を入れる」
ことを指して、
「有観客」
という言葉が出て来ました。しかしこの言葉は、こなれません。と言うのも、プロのスポーツの試合などで、
「観客を入れるのは当たり前」
ですから、そもそも「有観客」などという言葉はなかったと思われます。
しかし今回の「コロナ禍」で、「無観客」で試合・競技を行う必要が出て来て、それとの対比。
「無⇔有」
で、「有観客」という言葉が出て来たのでしょう。
「ゆうかんきゃく」
と読みますが、所詮「書き言葉」です。読むときはできるだけ、
「観客を入れて」
と読んだほうが・話したほうが良いでしょう。
「ユーカンキャク」
で、あなたは、
「You can 客?」
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