8001「人見知りですが」

2021 . 4 . 5

8001

 

 

春。4月です。

「ミヤネ屋」にも、新しいスタッフが入って来ました。ADさんが5人。22~24歳の若い人たちです。そのプロフィールがメールで届きました。

それを見て、あることに気付きました。「5人」のうち「2人」が、自己紹介に、

「人見知りですが」

という言葉を使っていたのです。

「人見知りですが、明るいです」

「アメフトをやっていましたが、人見知りです」

・・・その情報、いる?

単に、

「明るい性格です」

「アメフトをやっていました」

で良いんじゃないかな?

そもそも、本当に「人見知り」ならば、それを書かないのではないか?そう見られることが恥ずかしいから。

つまりこの「人見知りですが」は、ある意味の「予防線」を張っているのではないでしょうか?挨拶をしなかったり、敬語が使えなかったり、コミュニケーションの取り方に失敗した時を想定して、あらかじめ、

「エクスキューズ」

として打った布石が、

「人見知りですが」

なのではないか?と思いました。

そう言っておけば、周りの人も、

「ああ、彼(彼女)は『人見知り』だから、挨拶も恥ずかしくてできなかったんだな」

と、善意に解釈してくれるかもしれませんからね。

今回の新人の自己紹介を見て、そうした「人見知りですが」という「エクスキューズ」を使うことが、もしかしたら若い人たちの間に広がっているのではないか?という気が、少ししました。知らんけど。いや、若い人ばかりではないな。結構な年の人も使っているな。

以前、と言ってももう20年ぐらい前ですけど、若い女性が語尾に、

「かも」

を付けるのが流行りました。

「うれしい」

と言うべきところを、

「うれしいかも」

と言うような使い方です。

「うれしい」と自分の気持ちを断言できないと言うか、本当は、そんなにはうれしくはないんだけれど「外交辞令」で「うれしい」と言ったのだが、「うれしい」と言い切ってしまうと、自分の気持ちに「ウソ」をついているようで、そのあたりを曖昧にするために「かも」を付けている・・・のかも。

「人見知りですが」

も、そういう使われ方をしているのかもしれないな、と感じたのでした。

あ、もちろん、かく言う私も「人見知り」で-す。

 

(2021、4、5)