『不寛容論~アメリカが生んだ「共存」の哲学』(森本あんり、新潮選書:新潮社:2020、12、15)

2021 . 1 . 26

2021_010

 

シンプルなタイトルが好き。

著者の「森本あんり」さん、以前、初めて名前を知った際には「女性」だと思っていたら、「おじさん」でした。1956年生まれの国際基督教大学教授。専門は神学・宗教学。名前は、多分ご両親がクリスチャンだったのでしょうね。

ちょうどアメリカの「苦難の4年」が終わりを告げ、「あの大統領」が交代するタイミングであり、読んだ時期はベストタイミングでした。

「寛容」「不寛容」という言葉は「宗教」において具体的に出現したと。それは「中世までのもの」と「近代におけるもの」は違ったと。近代における「寛容・不寛容」を、「英国国教会の不寛容」(中世の不寛容)から逃れ、「新天地・アメリカ」へと渡った人たちの歩みを追うことで解き明かしていく。

「イギリスの不寛容」に耐えられずにアメリカに渡った人たちの中でも、また「不寛容」が生まれて、そこから逃れた人たちが集まったのが「ロードアイランド」なのだと。そこではいくつもの宗派が共存できたのだという。そんな中で、

「ロジャー・ウィリアムズ」

という人物にスポットライトを当て、彼の生き方・考え方を通して「寛容」について書かれたと言ってもよい。「近代の慣用・不寛容」。それは「現代」につながる。サブタイトルは、

「ロジャー・ウィリアムズ論」

あるいは、

「現代の不寛容の起源」

と付けるべきではなかったか。

「コロナ禍」で「密」が禁じられている21世紀の現在、この本で私が注目したのは「23~24ページ」に書かれていた記述である。

「一七世紀の英国では、『家族以外の者が五人以上、一ヶ所に集まることを禁ずる』などという法律が定められたりしている」

え?それって、まさに現在の日本。世界じゃない!

と思ったが、これは「集会の自由」=「礼拝の自由」=「結社の自由」、ひいては「言論の自由」を制限していたということなのだそうだ。

いや、待てよ。現代においては、これらの自由は認められている。しかし現状は、「コロナの飛沫感染を防ぐことが目的」とは言え、

「5人以上の会食の自粛」

を求められているので、結果として「集会の自由」=「礼拝の自由」=「結社の自由」=「言論の自由」を制限された状態になっているのではないか。

一刻も早く、“コロナ”を撃退して、こういった“自由”を取り戻そうではないか!

 

 

(2021、1、21読了)