7898「停車場の読み方3」

2021 . 1 . 29

7898

 

「令和ことば事情7701 停車場の読み方」

「令和ことば事情7708 停車場の読み方2」

の続きです。

2002年に出た時に買って、途中まで読みかけたままだった本

『明治生まれの日本語』(飛田良文、淡交社)

を、続きから読もうとしたら、何と「停車場」の読み方について書かれているではありませんか!「鉄道」が明治時代に作られて、英語の、

station

から、どのような訳語を経て「駅」になったのかについてです。(48ページ~57ページ)

それによると、当初「太政官布告」では、

「鉄道館」

と呼ばれていたそうです。万博のパビリオンみたい。一方、のちの「鉄道省」になる「鉄道寮」は、お雇い外国人が口にするstationをそのまま、

「ステーション」

としていました。この「ステーション」は、

「ステイシユン」→「ステンション」→「ステンショ」

と語形変化したあとに「訳語」として、

「火輪車場」(村田文夫『西洋聞見録』明治2年)

となり、そのあとに、

「停車場(テイシャヂャウ)」(丹羽純一郎約『欧洲奇事 花柳春話』附録 明治12年)

が現れると。

「停車場(ていしゃじょう)」という読み方もあったんだ!!

そして「停車場(ていしゃじょう)」から今度は、

「停車場(すていしょん)」(転々堂主人・高畠藍泉『巷説 児手柏(このてがしわ)』明治129月)

と英語のルビが振られ、その後にいよいよ、

「停車場(ていしゃば)」(『風俗画報』53号漫録・明治25年:田山花袋『布団』明治401月)

に出て来ます。この「明治40年代」は、有名な石川啄木の『一握の砂』(明治43年)では、

「ふるさとの 訛なつかし停車場(ていしゃば)の 人ごみの中に そを聴きにゆく」

と登場するほか、若山牧水の『別離』(明治43年)でも、

「別るる日 君もかたらず われ云はず 雪ふる午後の 停車場(ていしゃば)にあり」

「停車場(ていしゃば)」が出て来ます。

「明治40年代」に「停車場(ていしゃば)」が一般化した理由について、飛田良文氏は、

「『明治37年4月』から使われ始めた、文部省の『尋常小学読本』(イエスシ読本)の巻七第十四『停車場(ていしゃば)』の影響だ」

としています。そこには、

「人が、おほぜい、停車場(ていしゃば)の方へ、行きます」

とあって、そのあとには、

「煙をはいて、汽車が来る。駅(えき)の名呼ぶ声。とびらのあく音。」

となっている。この「駅」は、

「江戸時代の『宿場』の意味の『駅』」

ではなく、

「『station』の意味の鉄道の『駅』」

なんだそうです。

そして「停車場(ていしゃば)」から「駅」に変わったきっかけは、

東京市の中央停車場として「大正3年」に完成した駅舎が、

「東京駅」

と命名されてからだそうです。

大変、勉強になりました!!

 

(2021、1、29)