「令和ことば事情7701 停車場の読み方」
「令和ことば事情7708 停車場の読み方2」
の続きです。
2002年に出た時に買って、途中まで読みかけたままだった本
『明治生まれの日本語』(飛田良文、淡交社)
を、続きから読もうとしたら、何と「停車場」の読み方について書かれているではありませんか!「鉄道」が明治時代に作られて、英語の、
「station」
から、どのような訳語を経て「駅」になったのかについてです。(48ページ~57ページ)
それによると、当初「太政官布告」では、
「鉄道館」
と呼ばれていたそうです。万博のパビリオンみたい。一方、のちの「鉄道省」になる「鉄道寮」は、お雇い外国人が口にする「station」をそのまま、
「ステーション」
としていました。この「ステーション」は、
「ステイシユン」→「ステンション」→「ステンショ」
と語形変化したあとに「訳語」として、
「火輪車場」(村田文夫『西洋聞見録』明治2年)
となり、そのあとに、
「停車場(テイシャヂャウ)」(丹羽純一郎約『欧洲奇事 花柳春話』附録 明治12年)
が現れると。
「停車場(ていしゃじょう)」という読み方もあったんだ!!
そして「停車場(ていしゃじょう)」から今度は、
「停車場(すていしょん)」(転々堂主人・高畠藍泉『巷説 児手柏(このてがしわ)』明治12年9月)
と英語のルビが振られ、その後にいよいよ、
「停車場(ていしゃば)」(『風俗画報』53号漫録・明治25年:田山花袋『布団』明治40年1月)
に出て来ます。この「明治40年代」は、有名な石川啄木の『一握の砂』(明治43年)では、
「ふるさとの 訛なつかし停車場(ていしゃば)の 人ごみの中に そを聴きにゆく」
と登場するほか、若山牧水の『別離』(明治43年)でも、
「別るる日 君もかたらず われ云はず 雪ふる午後の 停車場(ていしゃば)にあり」
と「停車場(ていしゃば)」が出て来ます。
「明治40年代」に「停車場(ていしゃば)」が一般化した理由について、飛田良文氏は、
「『明治37年4月』から使われ始めた、文部省の『尋常小学読本』(イエスシ読本)の巻七第十四『停車場(ていしゃば)』の影響だ」
としています。そこには、
「人が、おほぜい、停車場(ていしゃば)の方へ、行きます」
とあって、そのあとには、
「煙をはいて、汽車が来る。駅(えき)の名呼ぶ声。とびらのあく音。」
となっている。この「駅」は、
「江戸時代の『宿場』の意味の『駅』」
ではなく、
「『station』の意味の鉄道の『駅』」
なんだそうです。
そして「停車場(ていしゃば)」から「駅」に変わったきっかけは、
東京市の中央停車場として「大正3年」に完成した駅舎が、
「東京駅」
と命名されてからだそうです。
大変、勉強になりました!!


