『Number1016(12月17日号)緊急追悼特集・さらば、マラドーナ。神に最も愛された男』(藤坂ガルシア千鶴ほか、文藝春秋:2020、12、17)

2020 . 12 . 7

2020_142

 

マラドーナが亡くなった。60歳。若すぎる。

1歳年上。つまり同世代。

1979年のワールドユースで注目されてからの40年、世界のサッカーは「ペレ」のあとは「マラドーナ」である。その前に「クライフ」も入るかもしれないが、やはり「マラドーナ」だろう。そのあとは「メッシ」なのか?ジーコやプラティニやロナウドもいるが、いや、とにかくペレ・マラドーナ。ペレは80歳で健在なのに、なぜマラドーナが?いや、薬物中毒などの過去を見れば「長生きはできないんだろうな…」という気はしていた。

しかし、・・・早すぎる。

マラドーナにとっての頂点は、1986年メキシコワールドカップでの優勝だろう。

私が初めてそのプレーにじかに接したのは、1990年イタリアワールドカップの開幕戦。ミラノのサンシーロスタジアムで、前回優勝のアルゼンチンがカメルーンと対戦し、まさかの敗戦。

その後、当時所属していたチームのあるナポリで、ソ連と対戦して2-0で勝った試合。地元だから大声援だろうと思ったら、意外にもマラドーナの名前が出た時にブーイングが起きて驚いた。でもその後、

♪オーレー、オレオレオレー、ディエゴー、ディエゴー

という、今ではサッカーファンならずともよく知っている例のメロディーに乗せた応援が繰り広げられたのが印象深かった。

1994年アメリカワールドカップ。マラドーナのピークは過ぎていたが、当然、その姿を見ようとスタジアムに行ったが、その姿はなかった。薬物検査に引っかかって出場停止、いや、大会からの追放になっていた。

「神の手」「5人抜き」

で知られる1986年メキシコワールドカップのイングランド戦。そのわずか4年前に、アルゼンチンはイギリスと「本当の戦争」(フォークランド紛争)をしていたことを考えれば、この試合の持つ意味の大きさもわかろう。

「神の子・マラドーナ」は「時代の子・マラドーナ」であり、「歴史上の人物」となった。合掌。。。

 

 

(2020、12、6読了)