10月5日付の「読売新聞」朝刊の「翻訳語事情」というコラムで、東京大学の齋藤希史教授が、
「sympathy▶同情・共感」
について書いていました。
そのタイトルを見てすぐに思い出したのは、この間読んで「2020読書日記120」に書いた、ブレイディみかこさんの、
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)
の中に出て来たエピソードでした。
それは、ブレイディさんの中学生の息子さんが先日、学校で、
「シチズンシップ・エデュケーション」
という科目で受けたテストの問題が、
「エンパシーとは何か?」
というものだったと。それについて息子さんは、
「自分で誰かの靴を履いてみること」
と答案に書いて、満点だったそうです。実はこの言葉、英語では「常套句」「定番表現」だそうで、意味は、
「他人の立場に立ってみる」
「empathy(エンパシー)」は普通、
「共感」「感情移入」「自己移入」
と訳されているようです。
ブレイディさんは「エンパシー」と「シンパシー」の違いについて言及していて、「sympathy(シンパシー)」は『オックスフォード英英辞典』のサイトによると、3つ意味が書かれていて、日本語に訳すと、
(1)誰かをかわいそうと思う感情。誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと。
(2)ある考え・理念・組織などへの支持や同意を示す行為。
(3)同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解。
とあり、一方の「empathy(エンパシー)」は、
「他人の感情や経験などを理解する能力」
とあるそうです。つまりブレイディさんは両者の違いを、
「sympathy(シンパシー)」=理解・感情=自然に出て来る
「empathy(エンパシー)」=能力=知的作業
と書いていました。
さて、最初に戻って「翻訳語事情」というコラムの冒頭で、齊藤教授は、
「sympathyという語はなかなか訳しにくい。」
と記しています。初の本格的英和辞書とされる『英和対訳袖珍辞書』(1862年=文久2年)では、
「同意」
と訳しているそうです。明治に入って刊行された『附音挿図英和字彙』(1873年)では、
「憐恤(れんじゅつ)、慈心(じしん)、同情、同視、同感、同心」
とあるそうです。そして訳語として生き残ったのは、
「同情」
であると。そもそも語源は「ギリシャ語」に遡り、
「sun(と共に)」「pathos(くるしみ)」
なのだそうです。
その後、明治後半になって、
「pitty」
の訳語に、
「同情」
が現れて来たため、「sympathy」の訳語に、
「共感」
が目立つようになってきたのだそうです。
さらに、20世紀になって広まった、
「empathy(共感、感情移入)」
という語の中国語訳には、
「共情」
という新語も出て来ると。
「empathy」に関しての記述はそれほど詳しくありませんが、最後に「sympathy」について、
「心をともにるすこと。人にとって大事なこの力を私たちはさまざまなことばで表してきた。『思いやり』や『寄りそう』もそうだろう。心の動きにかかわるだけに、表しきれないもどかしさも常にある。これからも新しい言葉が生まれるに違いない」
と、齊藤教授は結んでいます。


