『半沢直樹~アルルカンと道化師』(池井戸潤、講談社:2020、9、17)

2020 . 9 . 30

2020_121

 

ちょうど、7年ぶりのTBS「半沢直樹~シーズン2」のドラマが終了しそうなタイミングで購入、ドラマ終了の2日後に読み終わった。

こちらは実は「シーズン0」とも言うべき話で、半沢が「大阪西支店」に飛ばされたので、舞台は大阪。それと兵庫県の丹波篠山。

半沢の同期で情報源でもあり東京から出張でよく来る渡真利と半沢が、二人で密談をする居酒屋「ふくわらい」は「東梅田」にあるという設定。実際にモデルになったお店は、あるのだろうか?あったら、行ってみたいな。

「アルルカン」というのは、「ピエロ」のイタリア版のような道化師。それをモチーフとした「絵画」が、この物語のカギとなる。

やはり読みだすと、止まらなかった。基本的に池井戸潤の小説は「ハードボイルド」だ。「企業内西部劇」のような感じ。

それにしても「銀行」って、今もこんなに融通が利かないもので、「旧態依然」としているのかな?

また、半沢もそうだが、なぜ、こういうドラマでサラリーマンの夫は、スーツの上着を脱いだだけでネクタイも外さない。なぜ、家の普段着に着替えてから夕飯を食べないのだろう?「コロナ禍」でなくても、普通はそうするよね?あ、これはTVドラマの話。

読んでいて気になった表現。

・「一行先(いっこうさき)で他行との取引もありません」(41ページ)=「一行先」。これは「業界用語」だな。

・「支店近くの焼き鶏屋である」(145ページ)=普通は「焼き鳥」。「鶏」を使うのは珍しい。送り仮名の「き」を入れるのも珍しい。普通は「焼鳥屋」が多いのではないか?

・「焼き鶏を口に運ぶ手を止め」(147ページ)=普通は「焼き鳥」。

・「莫迦(ばか)にしてるな」(234ページ)=普通は「馬鹿」を使う。「莫迦」は珍しい。

・「翌朝午前八時半前のことである」(252ページ)=池井戸潤も「○時半前」を使うのか。

・「伴野が怫然(ふつぜん)とした」(259ページ)=この言葉は初めて知った。「怒るさま。怒って顔色をかえるさま。むっとするさま。(例)怫然として色をなす」(広辞苑)

・「土壇場で一発逆転とは、びっくらこいた」(290ページ)ちょっと、古い表現。

・「半沢は静かに焼酎を呑んでいた。銘柄はいつもの『ダバダ火振(ひぶり)』だ」(317ページ)=飲んだことはあるような気がするが、今度飲んでみよう。高知の「栗焼酎」。京橋の「みや澤」に置いてるな、きっと。

・その日の夜、帰宅した半沢を待ち構えていたらしい花が尋ねた」(319ページ)=これは「妻の花が」としないと「花=半沢の妻」とわかりにくい。「花」は、固有名詞に見えにくい。

・「共通点は友坂の妻も花も、元銀行員ではないところだ。銀行員の妻は、圧倒的に“元”銀行員が多い」(319ページ)=そうなんだ。「職場結婚=女性行員は職場の花」。「昭和」の風景。池井戸潤の奥さんも「“元”銀行員」なのかな?あ、半沢の妻「花」は「“元”銀行員ではない」のだから、違うのかも。もし自分の奥さんも「“元”銀行員」なら、こういった書き方はしないだろうな。

・「東京中央銀行約四百店舗の支店長と担当課長、さらに本部の主要セクション担当者らが一堂に集う全店会議は、銀行全体の業績情報と方針を確認するための最重要会議である」(321ページ)=無駄なことをやってるんだなあ。ヒマか。

・「今回のことで浅野支店長も大人しくなったのだろうな」

「それが全く変わらない」

半沢は小さな溜め息を洩らした。「自分のミスは部下のミス。部下の手柄は自分の手柄――江島を子分同然に扱ってふんぞり返っているさ」

「まさしく銀行員の鑑だ」(344ページ)=やだねったら、やだね。「江島」の役は「大島」さんにやってもらいたい・・・「児島だよ!」

 

 

(2020、9、29読了)