7627「いっせーの」

2020 . 8 . 6

7627

 

先日「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていたら、

「一斉ので始めましょう」

という発言フォローのテロップがありました。それを見て、

「え?掛け声の『いっせーの』は、漢字で書くと『一斉の』なの?そうすると『せーの』は『一斉の』の最初の『いっ』を省略した形なの?」

と疑問に思いました。発注したディレクターは、

「え?違うんですか?」

と言っています。知らんわ、そんなん。

放送本番まで時間がなかったので、とりあえず「平仮名」で、

「いっせーので始めましょう」

にしましたが、疑問は残ったまま。放送後に調べてみました。

『広辞苑』を引くと、

「せえの」(感)皆が同時に動作を起こす場合に、その始まりの合図に発する掛け声。

『新明解国語辞典』は、

「せえの」(感)力を合わせて重い物をうごかすときなどにかける掛け声。

『精選版日本国語大辞典』では「せえの」は「空見出し」で、「『せいのお』を見よ」となっていました。で、「せいのお」を引くと、

「せいのお」(感動)大勢が声を合わせて何かをしようとするときに発する掛け声。いっせいのせ。*林檎の下の顔(1971~73)<真継伸彦>四「針や柱に太い綱を巻き付け『せいのお』とかけ声をあげてひき倒す」

 

と載っていました。用例が「1971年」というのは、ずいぶん新しいですね。大正時代、明治時代には言わなかったのかな?「感動詞」なので、あまり文学作品には出て来ないということですかね?

ネット検索したら、今年(2020年)4月28日の『日本経済新聞』影井幹夫記者が書いた記事がありました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58539520X20C20A4AA1P00/

それによると、京都府立大教授などを務めた国語学者、故・寿岳章子さんが書いた

「『せーの』報告書」(国語語彙史の研究16、1996年、和泉書院)

という文書があるそうです。寿岳先生には、私、1998年にはインタビューしたことがあります!そんな論文があったのか。

1924年生まれの寿岳さんにとって「せーの」は、

「理解語ではあっても、使用語ではない」

と述べているそうです。語源については、「せーの」が登場する文献はほとんどなく、解明を断念しているそうです。

しかし、その寿岳先生の論文を読んで以来、ずっと関心を持っていたという京都先端科学大学の丸田博之教授(語源研究)によると、口承で伝わる言葉の語源は、複数が重なり合うケースが多いのだそうです。そして一つの私見として、

「『せーの』は『塞ノ神(さいのかみ)』から来ている」

という説を紹介。「塞ノ神」は「道祖神」、つまり「お地蔵さん」と。(そうなの?)

「重い物を持つときに、塞ノ神の力を借りたい。『さいの来い』『せーの来い』と変化し、それが『せーの』になった」

と解説してくれたそうです。

また、福岡県では、

「さんのーがーはい」

と言うそうですが、その「い」→「ん」に変化する言葉の例があり、

「『さいの』から『さんの』への変化はあり得る」

と丸田先生は語っています。

また「いっ」が付いた、

「いっせーの」

の掛け声は、「明治時代の海軍」が使った「フランス語」の号令

「イセー(引き揚げろ)」

に由来し、日本語の「一斉」も関係するとの説があるとのこと。

関係するのか!

ただ丸田教授は、中核の「せーの」は「より古い語源『塞ノ神』が有力」と見ているそうです。

いや、なかなか詳しくわかりました。良い記事ですね!

「ナプキン」

半濁音「プ」が、「台拭きの布」である「布巾(ふきん)」とイメージが重なって、

「ナフキン」

清音の「フ」になるようなことが、「いっせーの」でも起こっているのかもしれませんね!(「平成ことば事情1932ナフキン」「平成ことば事情5497ナフキンとナプキン」「平成ことば事情5733ナフキンとナプキン2」もお読みください。)

ということで、掛け声の表記には、漢字を使わずに「平仮名」にしましょう!!

 

(2020、8、6)