7666「全国戦没者追悼式の日の丸の写真」

2020 . 8 . 21

7666

これまで、

平成ことば事情607「日経新聞の日の丸の写真~完結編」

として「追記」を足して来たのですが、その間に「ブログ化」されて2度「引っ越し」をしたこともあり、検索しやすいように最新の所に載せてもらうことにしましたので、初めて読む方は、そういう意図を酌んでいただいて、読んでいただければと思います。

以下は、「2002年3月」に最初に書いて、その後、毎年8月に表を含めて更新してきたもので、最後の「追記11」は、ことし(2020年8月20日)に書きました。

****************************************

 

読売・朝日・毎日・産経と全国紙4紙にわたって、昭和38(1963)の第1回から、去年(平成13年・2001)までの、815日に行われた全国戦没者追悼式の様子を伝えた記事とともに載っている、1面の写真に、日の丸が写っているかどうかを調べてきました。

で、4紙まで調べると、やはりもう1紙、日本経済新聞も調べたくなるものですよね。幸いにして、大阪府立中之島図書館には、日経新聞の縮刷版が置いてありましたから、調べることにしました。これで一応全国紙5紙を調べたことになります。(産経は大阪版のマイクロフィルムですが)

傾向がわかりやすいと思いましたので、一覧表にしてみました。○が日の丸の写った写真が載っていた年、×は写っていなかった年です。そして、※印は、写真そのものが載っていなかった年です。

 

 

 

読売

朝日

毎日

産経

日経

1963

(昭和38)

64

(   39)

65

(   40)

×

×

66

(   41)

×

×

67

(   42)

※ ×

×

68

(   43)

×

69

(   44)

×

※×

70

(   45)

×

×

71

(   46)

×

72

(   47)

×

×

73

(   48)

×

74

(   49)

×

75

(   50)

×

×

×

76

(   51)

×

77

(   52)

×

×

78

(   53)

×

×

79

(   54)

×

×

×

80

(   55)

×

※×

×

81

(   56)

82

(   57)

×

×

83

(   58)

※×

×

84

(   59)

×

×

85

(   60)

×

×

86

(   61)

×

×

×

87

(   62)

×

×

88

(   63)

×

×

×

×

89

(平成元)

×

×

×

※×

×

90

(    2)

×

×

×

×

×

91

(     3)

×

×

×

×

×

92

(     4)

×

×

×

×

×

93

(     5)

×

×

×

※×

×

94

(     6)

×

×

×

×

×

95

(     7)

×

×

×

96

(     8)

×

×

×

×

97

(     9)

×

×

×

98

(   10)

×

×

×

×

×

99

(   11)

×

※×

×

※×

※×

2000

(   12)

×

×

×

×

1

(   13)

×

×

×

×

×

(   14

×

×

×

×

×

(   15)

×

※×

×

×

×

(   16)

×

×

×

※×

×

(   17)

×

×

×

×

(   18)

×

※×

×

×

×

      7

(  19)

×

×

×

×

      8

(  20)

×

×

×

      9

(  21)

×

×

×

×

   10 

(  22)

×

×

×

×

×

11

(  23)

×

×

×

×

×

12

(  24)

×

×

×

×

13

(  25)

×

×

×

×

※×

14

(  26)

×

×

×

×

×

15

(   27)

×

×

×

×

×

16

(   28)

×

×

×

×

×

17

(   29)

×

×

×

×

×

18

(   30)

×

×

×

×

×

19

(令和元)

×

×

×

20

(   2)

15日夕

16日朝

 

×

×

 

×

×

 

×

 

×

 

×

合  計

 

25(0)

18(2)

23(2)

22(3)

12(5)

 

 

読売

朝日

毎日

産経

日経

 

ただし、朝日の1974年(昭49)は、1面ではなく2面に写真が載っていました。

また、日経の1968(43)は、1面ではなく7(社会面)に写真が載っていましたが、日の丸は写っていませんでした。

 

最後の合計というのは、39回のうち日の丸が写った写真を載せた回数の総計で、  )内は、そのうち 平成になってから日の丸の写真を載せた回数です。

いかがでしょうか。

日経新聞が思いのほか、日の丸の写った写真を載せていないのが気になります。39回のうち日の丸を写したのは、わずかに6回です。

回数の多いほうから言うと、①読売②毎日③産経④朝日⑤日経です。

当初の予想の「産経は日の丸をたくさん載せているのではないか?」というのは見事に外れましたね。

ここから考えたことを書き連ねてみます。

まず、平成になってからの13年間で日の丸の写真をのせたのは、5紙あわせてたったの6回しかありません。読売にいたっては0回、つまり1回も載せていません。これはこれまでも述べたように、「戦没者追悼式」という行事に性格上、あきらかに

「日の丸」=「戦争責任」

という図式が成り立ち、その同じ写真の中に「昭和天皇」を映り込ませることは、ジャーナリスティックな視点から言って「可」なのですが、今上天皇と日の丸を一緒の構図に収めることは、意図するところと違う、ということではないのでしょうか。

しかしそうは言っても平成になってから6回だけ、日の丸が写った写真が載っています。

これは何を意味しているのでしょうか。

また、なぜ、右寄りのスタンスと見られる産経は、あまり日の丸を載せていないのか?これに対して、ある先輩がこんな見方を教えてくれました。

「日の丸に頭を下げている天皇の構図は、載せたくないんじゃない?」

なるほど、そういった見方もあるのか。

なかなか奥が深いですね。

まだまだいろいろ考えることが出来そうですね。

とりあえず、ここで一旦筆を置きます。(って、筆は持ってないんだけど。パソコンだし。)

(2002、3、22)

(追記)

今年(2002年)も8月15日がやってきました。全国戦没者追悼式が日本武道館で行われました。その様子が各新聞の夕刊に載っていました。それによると、写真に日の丸が写っていたかどうかを○×で表すと、

(読売)×

(朝日)×(戦没者墓苑で花束を持つ小泉首相のアップ)

(毎日)×(武道館に入ろうとする遺族の姿)

(産経)×

(日経)×

でした。やはり今年も「日の丸」を掲載した新聞社は、1社もありませんでした。

表を見ていて思ったんですが、1997年に2社が日の丸を載せたのは、日の丸の「国旗・国歌法」が制定された年ではなかったのでしょうかね。また確認しておきます。

(2002、8、16)

(追記2)

今年(2003年)も8月15日がやってきました。その15日夕刊に、日の丸が写っていたかどうか、です。恒例となりました。今年は日本時間の15日早朝に、カナダ・アメリカで大停電が起きたので、そのニュースが各紙トップ記事です。その横の1面に、戦没者追悼式の記事は載っています。日の丸の写真が載っていれば○、載っていなければ×です。また、(  )内は写真に写っているものです。

(読売)×(右側から、一礼する天皇皇后両陛下と全国戦没者之霊の碑)

(朝日)×(1面に写真なし)

(毎日)×(千鳥ケ淵戦没者墓苑で手を合わせる老女)

(産経)×(左側から、一礼する天皇皇后両陛下と全国戦没者之霊の碑)

(日経)×(右側から、一礼する天皇皇后両陛下と全国戦没者之霊の碑)

ということでした。

また、「靖国神社(に)参拝した」か「靖国神社(を)参拝した」かは、

(読売)「を」

(朝日)「に」

(毎日)「に」

(産経)「を」

(日経)(靖国神社参拝の記事、載っていない)

でした。

(2003、8、15)

(追記3)

げげ、2年経ってる!2004年は調べるの、忘れてる!・・・そうか去年の8月15日はアテネオリンピック取材に行ってたから、コロッと忘れてたんだ・・・また図書館に行かなくては。

で、2005年を記しておきます。日の丸の写真は、×が不掲載、○が掲載。

(読売)×(全国戦没者追悼式でお言葉を述べられる天皇陛下と皇后陛下を右側から)

(朝日)×(千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花する小泉首相)

(毎日)×(千鳥ケ淵戦没者墓苑でさまざまな思いを込め手を合わせる人たち)

(産経)×(「全国戦没者之霊」の碑。舞台上に人はいない)

(日経)○(全国戦没者追悼式の会場に着席する参列者の向こうに、日の丸が正面から)

日経が日の丸を写しています。今年は戦後60年の節目の年でしたから、ちょっと例年と違いがあるのかも。

「靖国神社(に)参拝した」か「靖国神社(を)参拝した」かは、

(読売)「には」

(朝日)「を」

(毎日)「に」

(産経)(靖国神社参拝の記事、載っていない)

(日経)「を」

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=瓦力・元防衛庁長官)は「に」ですね。

(2005、9、23)

(追記4)

今年(2006年)も8月15日がやってきました。小泉総理が、就任時から公約としていた「8月15日の靖国参拝」を行ないました。8月15日各紙夕刊は、全国戦没者追悼式の記事よりも小泉総理の靖国参拝の記事の方が大きく取り上げられていました。その靖国神社「に・を」問題、今年はキッパリと分かれました。

(朝日)に

(毎日)に

(読売)を

(産経)を

(日経)を

と、右寄りとされる(?)新聞は「を」、左寄りとされる新聞は「に」でした。

日の丸の写真は、全紙掲載されず。

(読売)×(天皇皇后両陛下、右側から。「全国戦没者之霊」の碑と共に)

(朝日)×(全国戦没者追悼式の写真は、紙面になし)

(毎日)×(天皇皇后両陛下の右側からの後ろ姿をアップで。バックは黄色い菊の花)

(産経)×(天皇皇后両陛下、左側から。「全国戦没者之霊」の碑と共に)

(日経)×(天皇皇后両陛下、右側から。「全国戦没者之霊」の碑と共に)

 

朝日新聞社は靖国神社から取材を拒否されたという記事が載っていました。12日付けで靖国神社関連施設の地図を載せたことが警護上、行過ぎた報道だと抗議を受けて、「取材拒否」になったのだそうです。ふーむい、そうだったのか。よって朝日の写真の一部は通信社のものを使ったそうです。

あ、すみません2004年の8月15日写真、まだ調べていません!

(2006、8,16)

(追記5)

ようやく、中之島の府立図書館に行く時間と意志が整いまして、行ってきました。

2004年の8月15日の新聞を確認しに。行ってみて気づいたのですが、この年は15日が日曜日だったので、チェックする新聞は16日月曜日の朝刊でした。(×は日の丸なし)

(朝日)×(1面に写真なし。3面に全国戦没者追悼式で頭を下げ黙祷する天皇皇后両陛下と「全国戦没者の碑」と菊の花の山を、左側から撮影)

(毎日)×(1面に全国戦没者追悼式で献花する遺族代表数人と「全国戦没者の碑」と菊の花の山を、左側から撮影)

(日経)×(1面に写真なし。34面に全国戦没者追悼式に向かう参列者最高齢=95歳=広島市の岡村迪子さんと孫の二川由実さんの、日本武道館での写真。日の丸もなし、場内の写真もなし)

この3紙しかなかったので、会社の図書室で「読売新聞」を調べました。

(読売)×(1面に全国戦没者追悼式でおことばを述べられる天皇皇后両陛下と「全国戦没者の碑」と菊の花の山を、右側から撮影)

 

やはり読売・朝日・毎日・日経ともに「日の丸」はありませんでした。

産経新聞は、またミナミの大阪市立図書館に行ってマイクロフィルムを起こさないとダメですね。今度チェックします。

※2002年から2006年の分も、表に加えました。

(2006、8、24)

(追記6)

再びやる気が出てきて、西長堀の大阪市立中央図書館に行って、産経新聞のマイクロフィルムをコピーしてきました。

それによると2004816日の産経新聞1面には、「全国戦没者追悼式」の記事は小さく「59回目の終戦記念日・首相決意・世界平和に貢献」

という見出しで載っていましたが、写真は載っていませんでした。関連記事と書かれた226面も見ましたが、2面に写真はなく、26面の記事の写真も「全国戦没者追悼式」の写真ではありませんでした。

なお、トップ記事はアテネ五輪での水泳・男子平泳ぎ100メートル平泳ぎ・北島康介選手の金メダルでした。

(2006、9、6)

(追記7)

今年(2007年)も8月15日がやってきました。今年「日の丸」の写った写真を載せたのは、日本経済新聞だけでした。朝日新聞は日本武道館での戦没者追悼式の写真を載せずに、千鳥ケ淵戦没者墓苑の写真を、毎日新聞も1面には同じく千鳥ケ淵戦没者墓苑の写真で、2面に武道館の写真(日の丸なし)を小さく載せていました。

(2007、8、17)

(追記8)

今年の815日、63回目の終戦の日です。なぜだか、この日の夕刊で、産経新聞と日経新聞が、ロング(遠景)で、ステージ上に天皇陛下はいらっしゃらない時の、

「日の丸込みの写真」

1面に掲載しました。「毎日新聞」は1面に写真はありませんでした(記事は1面のトップ)。「朝日」が、遺族が残暑の中戦没者追悼式に向かう様子を太陽込みでしたからあおるアングルで、「読売」はステージ上の天皇皇后両陛下と祭壇を右側から、「日の丸の映り込みなし」で撮影した写真を載せていました。

(2008、8、19)

(追記9)

今年も815日がやってきました。土曜日でした。夕刊各紙を比較しました。いま、去年の「追記8」を読んだら、分かりにくいので、各社ごとの比較がわかりやすく書きます。それぞれ1面です。

<日の丸・・・「○」は「あり」、「×」はなし>

(読売)×(「全国戦没者之霊」の碑に向かって右側から、左に天皇皇后両陛下)

(朝日)×(「全国戦没者之霊」の碑に向かって左側から、右に麻生首相)

(毎日)×(千鳥ケ淵戦没者墓苑。「終戦記念日の朝、親族3世代で悼む家族連れ」徒いうキャプション。)

(産経)×(「全国戦没者之霊」の碑に向かって左側から、右に天皇皇后両陛下)

(日経)○(「全国戦没者追悼式の開会を待つ参列者」というキャプションで、正面真ん中ぐらいの席からの撮影)

ということで、「日経」だけが「日の丸の写真」を載せていました。毎日は、「全国戦没

者追悼式」の介助の写真は1面にも社会面にも載せていませんでしたが、7面に小さく、

「全国戦没者之霊」の碑に向かって右側から、左に天皇皇后両陛下の写真(読売と同じ

アングル)を「日の丸なし」で載せていました。

今年、写真を見ていて感じたのは、

「日の丸が写っていない黒い空間に、読者は何を思い浮かべるのだろうか?」

ということでした。

(2009、8、17)

(追記10)

4年ぶりにコメントを付けます。

今年の8月15日の夕刊も各社、「日の丸の写らない」全国戦没者追悼式の写真を載せ

ていたのですが、日本経済新聞の最終版(4版)の前の「3版」のみ、

「日の丸の写ったロング(遠景)のステージの様子」

の写真を使っていたのです。最終版で「日の丸の写らない写真」に差し換えたのはなぜ

か?これは、

「3版の締め切りが早いため」

でしょう。「天皇皇后両陛下がお言葉を述べられるシーン」が撮影できるのであれば、

その写真を使うでしょうが、「3版」の締め切りは午前中なので、そのシーンは撮影で

きない。それで、

「会場全体の様子」

を載せるしかないのではないでしょうか?「3版」のキャプションには、

「全国戦没者追悼式の式場に入る参列者(15日午前、東京都千代田区の日本武道館)」

とあります。この写真は、会場の後ろから日の丸と「全国戦没者追悼式」というタイト

ル、それに会場に入り始めた参列者の姿が写っていました。

あ、ということは、もしかしたら、日経新聞の2005年と2007年~2009年に「日の丸

の写真を写している」のも、私が自宅で取っている「日経新聞・3版」だったからかも

しれませんね。それは確認していなかった!そうなると余計に「日の丸と天皇は一緒に

写さない」ことになりますね。

また、毎日新聞は、武道館の「全国戦没者追悼式」の写真は載せずに、

「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」

で戦没者を悼み、花を手向ける人たちの写真(中心は、野球帽を被った男の子)を使っ

ています。

(2013、8、27)

(追記11)

毎年「表」だけ更新していましたが、追記するのは7年ぶりですか。

西暦「2020年」、「元号(昭和)」で言うと、

「昭和95年」

に当たる「戦後75年の」今年は「8月15日」の夕刊と、翌日「16日」の朝刊、両方

に各紙、写真を載せていたので、両方分けて表に記しました。というのは、状況に違いが

あったからです。

15日夕刊で「日の丸」が写っていたのは、「産経と日経」でしたが、翌16日の朝刊では

この2紙には「日の丸」は写っておらず、「毎日」に「日の丸」が写っていました。

去年、「令和」初の「戦没者追悼式」だったのに、その時期夏休みだったこともあって、手

を抜いてしまっていましたが、ことし改めてみると、なんと「産経新聞」と「日経新聞」

は、「令和」になってから2年連続で「日の丸の写真」を載せているのです!それまで「産

経新聞」は「2008年」、「日経新聞」は「2009年」を最後に約10年、「日の丸」を

全く載せていなかったのに。これは何を意味するのでしょうか?

更に驚くべきは「毎日新聞」です。ことし「日の丸」を載せたのは、何と1997年以来「23年ぶり」です。これも何を意味しているのでしょうか?

読売新聞は、「昭和最後の年」(昭和63年=1988年)を最後に「平成」の「30回」と「令和」の「2回」の合わせて「32回」連続で「戦没者追悼式」に「日の丸の写真」を載せていません。強い意志を感じます。

「朝日新聞」は「昭和62年=1987年」には「日の丸」を載せたものの、昭和最後となった翌年は載せ座右、「平成」の間は「平成12年(2000年)」と「平成24年(2012年)」の2回だけ載せています。「2000年」はともかく、「2012年」に載せた意味がわかりませんでした。

「令和」に入ってまた「戦没者追悼式」の「日の丸」に注目ですね。

2020、8、20