この本には「3つの物語」が記されている。
「早稲田大学」「学校騒動」「風蕭々(しょうしょう)」。
このうち「早稲田大学」は、当初「大隈重信」というタイトルだったので、大隈重信に焦点が当たっている。尾崎士郎はこの本の最初に「凡例」として(辞書みたい)、
「私は少年時代から大隈重信が好きである」
と記している。昭和27年(1952年)、「早稲田大学創立70周年」の年に書かれた作品だそうだ。それが、文藝春秋編集長の要請に応じて「早稲田大学」に改題されたそうだ。
大隈重信の政治家として条約改正に臨む頃の話、それに反対する右翼・玄洋社社員の来島恒喜(くるしま・つねき)が大隈を爆殺せんと暗殺を企てる。そういったお話は、小説のようでもありノンフィクションのようでもある。
次の「学校騒動」は、大正時代、学長の座を巡る高田早苗と天野為之の争いの様子。それに学生も加わって・・・。まだ「大学」ではない「東京専門学校」の時代か。何と天野派として、天野が作った「東洋経済新報社」の「石橋湛山」が出て来る。のちの早稲田出身初の総理大臣だ。実名ではないが、実名みたいなものだ、だって「岩橋勘山」だもの。
そして最後の「風蕭々」は、なんと大隈暗殺を企てた洋社社員の「来島恒喜」が主人公だ。これにはちょっと、びっくりした。
さらに最後に「小野梓」の「祝東京専門学校之開校」の演説文まで載っている。小野の演説の最後の締めくくりの名文句は、
「恩人隈公、及その他の諸君は、余が説を容(い)るるや否(いなや)」(拍手、大喝采)
カッコいいなあ。
さらに巻末には「早稲田大学年表」が載っていて、1838年の大隈重信誕生から2010年までの年表が、コンパクトに載っている。驚いたのはその最後のほう、1982年「大学創立100周年」(私が大学3年)の時に行われた「記念弁論大会」のことが記されていて、
「第一席 石井達也」
と載っている。え!?あの雄弁会所属で、同じ河原ゼミで、今は共同通信に勤めているあの石井!?まさかゼミの同級生が、この本の最後に出て来るとは思いませんでした。


