『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット、神吉恵三訳、ちくま学芸文庫:1999、6、7第1刷・2003、3、20第9刷)

2020 . 6 . 23

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ここ数年、大学時代に読もうと思って読みさしになっている本を、年に1冊は読み通そうと思って実行しています。ことしの1冊はこれ。学生時代は単行本を買ったのに読み通せず、社会人になってから文庫本を購入したのにやはり読み通せていなかったのです。

さてどこから読もうか、まずは興味ある所から…と目次を見て、「おっ!」と思ったのは、

「『慢心しきったお坊ちゃん』の時代」

という項目。さっそく開いてみたら…何と赤線が引いてあるではないですか!買ってから時間のたった古い本ではありますが「古本」ではないので、赤線を引いたのは「私」しかいません。やはり同じところに興味があるのか。ビックリです。

1930年に書かれたこの本ですが、ところどころ、

「これは『現在』のことを書いているのではないのか?」

と思う所が!「人間」の本質は変わらないということか。抜き書きします。

 

・「大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は『すべての人』と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」(17ページ)

・「今日の新しい事態を、あたかも大衆が政治にあき、政治の運営を専門家にまかせきっているのだというふうに解釈するのはまちがいである。事実はまったくその逆なのである。(中略)今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じているのである。」(20~21ページ)

・「大衆を構成している個々人が、自分が特殊の才能をもっていると信じ込んだとしても、それは単なる個人的な錯覚の一例にしかすぎないのであって、社会的秩序の攪乱(かくらん)を意味するものではない。今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。つまり北米合衆国でいわれているように、他人と違うということ即ふしだらなことであるという風潮である。大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能をもった選ばれたものを席巻しつつある。すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考え方をしない者は締め出される危険にさらされているのである。ところがこの『すべての人』が真に『すべての人』でないことは明らかである。」(21~22ページ)

・「一つの意見をしっかりと造り上げるだけの努力をせずに、この問題に関する意見を持つ権利を有していると信じ込むことによって、わたしが『反逆する大衆』と呼んだあの人間としてのばかげたあり方に自分が属している、という典型的な例を示しているのである。これこそ、まさに、閉塞的・封鎖的な魂をもっているということに他ならない。この場合には知的閉塞性ということができよう。こうした人間は、まず自分の中にいくばくかの思想を見出す。そして、それらの思想に満足し、自分を知的に完全なものとみなすことに決めてしまう。彼は、自分の外にあるものになんらの必要性も感じないのであるから、自分の思想の限られたレパートリーの中に決定的に住みついてしまうことになる。これが自己の閉塞のメカニズムである。

大衆人は、自分は完璧な人間だと思っている。(中略)自己の完全さに対する信念は(中略)虚栄のもたらした産物であり、(中略)高貴な人間は(中略)心底から自分を完全者と感ずることはできないのである。」(「大衆はなぜすべてのことに干渉するのか、しかも彼らはなぜ暴力的にのみ干渉するのか」96~99ページ)

 

そういえば「私は、森羅万象をつかさどっている」と言っていた人がいましたね。

 

・「第一に大衆人は、生は容易であり、あり余るほど豊かであり、悲劇的な限界をもっていないという感じを抱いていることであり(中略)自分の中に支配と勝利の実感があることを見出すのである。そして第二にこの支配と勝利の実感が、彼にあるがままの自分を肯定させ、自分の道徳的、知的資産は立派で完璧であるというふうに考えさせるのである。この自己満足の結果、彼は、外部からのいっさいの示唆に対して自己を閉ざしてしまい、他人の言葉に耳を貸さず、自分の見解になんら疑問を抱こうとせず、また自分以外の人の存在を考慮に入れようとはしなくなるのである。彼の内部にある支配感情が絶えず彼を刺激して、彼に支配力を行使させる。したがって、彼は、この世には彼と彼の同類しかいないかのように行動することとなろう。したがって第三に、彼はあらゆることに介入し、自分の凡俗な意見を、なんの配慮も内省も手続きも遠慮もなしに、つまり「直接的行動」の方法に従って強行しようとするであろう。こうした諸様相は、われわれに、「甘やかされた子供」と反逆的未開人、つまり、野蛮人に似たような、ある種の不完全な人間のあり方を想起させた(正常な未開人は、これとは反対に、彼らより上位にある審判、つまり宗教、タブー、社会的伝統、習慣などに、かつて例を見ないほど従順な人間である。)」(137~138ページ)

 

どうでしょうか?

ちょっと訳が回りくどいので、もう少し「意訳」してくれた方が、さっと頭の中に入るなあとは思いましたが、非常に「21世紀の世界」を言い当てているとは思われませんか?日本のみならず、アメリカも中国も、全世界を。

 

 

(2020、6、14読了)