7505「負けず嫌い」

2020 . 6 . 4

7505

 

「『負けず嫌い』は『負けることが嫌い』なのに、なぜ『ず』が入っているんですか?『ず』が入っていると『負けないことが嫌い=負けることが好き』の意味になりませんか?」

これについて、「かんさい情報ネットten.」で答えてくれませんか?と依頼があったので、ちょいと調べてみました。

それによると、もともとは

「負け嫌い」

だったんですね。それが、

「負けじ魂」

という「似た形の言葉」や、

「食わず嫌い」

という「〇〇ず嫌い」という似た形の言葉と交ざって、

「負けず嫌い」

になったのではないか?つまり、いわゆるところの、

「混交表現」

ではないでしょうか。たぶん、「リズム」の問題もありますよね。

「マケ・ギライ」=「2:3」

という「変拍子的リズム」よりも、

「マケズ・ギライ」=「3:3」

という「前半と後半が同数」のほうが落ち着くのではないでしょうかね、口調的にも。

と、ここまで考えて、

「たぶん、これについて書いた本が手元にあるはず」

と思い、捜してたら出て来ました。

文化庁が出している『言葉に関する問答集・総集編』の576ページ、元々は「昭和55年(1980年)4月」に出た「第6集」に載っていました。

それによると、やはり古い辞書(明治41年発行)には「負け嫌い」しか載っていないが、それ以降は両方載せているものも増えて来た。しかしそれでも「負け嫌い」が「本見出し」で、「負けず嫌い」は「空見出し」だそうです。

手元の辞書を見てみると、「負け嫌い」を見出しにしたものでは、

・「まけぎらい(負け嫌い)」=「負けず嫌い」のもとの形(『三省堂国語辞典』)

・「まけぎらい(負け嫌い)」=人に負けることを特に嫌う性格であること。また、そのような人▼現在では「負けず嫌い」が一般的。(『明鏡国語辞典』)

一方「負けず嫌い」を見出しにしたものは、

・「まけずぎらい(負けず嫌い)」=(「負け嫌い」と「負けず」の混交)他人に負けることを極端に嫌い、常に他より優位に立とうとする性向(の人)(『新明解国語辞典』)

となっていました。

やはり元々は「負け嫌い」で。それが「負けず嫌い」に形が変わったけれども意味は変わらないと。さらに実際の用例を載せたものでは、

・「まけぎらい(負け嫌い)」=他人に負けることをとりわけいやがること。まけずぎらい。(用例)夏目漱石「坊っちゃん」(1906)山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌いな大きな声を出す。(『広辞苑』)

・「まけずぎらい(不負嫌)」=(「負け嫌い」「負けじ魂」などの混態か)他人に負けることを特にきらう勝気な性格。また、そのさまやそのような人。まけぎらい。(用例)*銀の匙(1913-15)<中勘助>前「負けずぎらひの私とくやしがりのお薫ちゃんとのあひだには」(『精選版日本国語大辞典』)

とありました。これ、面白いのは、

1906年に夏目漱石(1867~1916)は、まだ、

「負け嫌い」

を使っていたんです。それが7年後には中勘助(1885~1965)が、

「負けず嫌い」

を使っていると。

しかもこの「銀の匙」は、中勘助が、尊敬する夏目漱石に見てもらったところ絶賛されたので出版に漕ぎつけたんです。だから漱石も、

「『負けずぎらい』でも違和感はなかった」

ということですよね。中勘助は、漱石の18歳年下です。大正時代のこの時期には、

「どちらもよく使われていた」

と言えるのではないしょうか。

(2020、6、4)