売れているみたいです、この本。発売1か月で3刷です。
その昔、「サルでも書けるマンガ教室」という作品があって、わが読売テレビにでも「サルでもわかるニュース解説」とかいう番組かコーナーがあったが、それから四半世紀、とうとう人間は「サル」になったのか!?
そのあたりについて「なんだかよくわからないまえがき」を読むと、そもそも「サル化する世界」というのは「ブログ記事に付けたタイトル」だったと内田先生は言います。そして「こんなタイトルの本を出します」とツイッターに書いたら、「サルをバカにするな」「お前は差別主義者か」というようなリアクションがあって、びっくりしたそうです。このタイトルは、
「『朝三暮四』の狙公の飼っているサルのような論理形式を内面化した人たちが、いつの間にかマジョリティーを形成しつつある世界について」
書かれたものだそうです。まあ、ありていに言えば、
「“おサルさん程度”の(頭の)人が増えている」
と。20年前に養老孟司先生が『バカの壁』を書いて「バカ」「おバカ」という言葉が流行りましたが、「バカが増えた」のではなく、
「みんなバカになった」
ということでしょうか。
「バカ」と書くから「バカにするな!」と怒られ「バカにバカと言って何が悪い!」なんて返すとケンカになります。これは「サル化=バカ化」ではなく「大衆化」だと考えればいいのではないでしょうか?「ファシズム」が「民主主義」から生まれるのと同じく、「大衆化」も「民主主義」から生まれるのですから、当然の帰結なのでしょう。
第1章「時間と知性」では「サル化する世界=ポピュリズムと民主主義について」から始まります。いろんな講演で話した内容や、書評他いろんなところで書いたものが「サル化する世界の証拠」として集められています。
「ペスト」で今タイムリーな「カミュ」についても書いています。カミュにとって「死刑制度」は、カミュは「死刑に処せられる側」だったと。「殺される覚悟があれば、殺すことができる」という「トレードオフの倫理」「相対性の倫理」だったと。
また、イタリアは「三国同盟」で日本とドイツと共に「敗戦国仲間」だと思っていたら、実は「戦勝国側」だったという話は、「目からウロコ」だった。現在の日本の指導者層を形成している人たちは、また原発事故が起きて日本列島が居住不能になっても、そのときは日本を出て海外で暮らせばいいと思っていると。そう考えられるようなことばかり、続いていますもんね。日本の「教育改革」を考える会議で一緒になった有識者が、
「これだから日本はダメなんだ!」
と言っていたが、「子どもさんはどちらの学校へ?」と聞くと、
「海外の大学」
と答えたという。これは・・・、
「『日本の教育』を本気で考えていないんじゃないか?無責任だ」
と。そのとおりですね。勉強になる一冊。
そういえばNHK-Eテレの「100分de名著」で「カミュ」の「ペスト」が取り上げられた時、4回のシリーズの最終回で内田先生が出て来て、なかなか面白かったな。


