2019年12月4日、現地で命を奪われた中村哲医師。73歳。アフガニスタン、パキスタンという地に命を捧げた人。生前からお名前は存じ上げていたが、書物に接するのは初めてだ。
どういう思いで、なぜアフガニスタンに?というあたりから興味深く読んだ。
1978年に初めてペシャワールに行った時に、中村さんが感じたことは、
「日本で我われが享受している医療がいかに高価でぜいたくなものであるか、私の理解をこえるものがあった」
と。一緒に行った奥さんが、
「まさかこんな所で生活することはないでしょうね。おもしろそうな所だけど……」
と言って、中村さんも、
「何をバカな」
と返したのに、3年後に住むことになってしまった。その際に奥さんは、
「あそこはまんざら知らない所でもないから。ほかの所なら別だけど」
と平然と述べた、という。「たくましき者は“女性”」ですね。
当初中村さんは、ペシャワールで「らい(ハンセン病)根絶計画」に携わっていたのだが、地球温暖化によって現地が「砂漠化」してきた。そのために、まずは現地の人たちの生活のためには「水」が必要と、「灌漑」のため「井戸」を掘り始めたという。まさに「医療」とは「生活改善」が根底にあるということだ。
ここからは、印象に残った文章を「抜き書き」します。
「西欧型近代国家は、まさに明瞭な国境・領土と国民の均質化を要求するという点で『非アジア的』であり、その国家観でアジア諸国を論ずるのがそもそも無理なのである。」(29ページ)
「アフガニスタンでもパキスタン北西辺境州の自治区でも、近代的な国家権力は存在しない。すべては伝統的に共通する慣習法の下で裁かれる。徹底した復讐法によってたがいの暴力行使を牽制しあっている部族社会という特質をそなえている。」
「『識字率』とは都市化の指標であって、文化の高さを示すものではない。事実、読み書きのできぬすぐれた詩人も多い。『就学率』にしろ『識字率』にしろ、これらをゆたかさと進歩の尺度とするかどうかは別問題である。」(35ページ)
「わずか数百円程度の薬が買えないために死んでゆくものは数知れない。」(44ページ)
「この内乱でアフガン住民はまったく米ソの政治ゲームに翻弄された。ソ連側からの対応はいうまでもなく、『ジェノサイド(皆殺し)』のアフガニスタン版であった。かつてフランスや米国がベトナムで行ったことがくりかえされた。農村社会という『封建制の温床』そのものを破壊し、人口を都市に集中して管理するという、現地庶民にとっては迷惑千万な戦略が実行されたらしい。この内戦中にアフガニスタンの全農村の約半分が廃墟と化し、二〇〇万人ちかくが死亡したとみられている」(88~89ページ)
「銃器類と麻薬の取引は治安を悪化させ、難民援助にともなう多額の外貨は投資よりも消費を活性化し、経済構造をいびつなものにした。貧富の差はさらに拡大した。兵を進めたソ連自身もあらゆる意味で疲弊した。世界最強をほこった陸軍の威信は傷つき、大義を失った戦争はモラルの退廃と厭世気分から麻薬禍をモスクワにまでもちこんだといわれる。」
「『アフガニスタンーーーそれは光と影です』というのが、私の好む一見まじめなはぐらかし文句である。」
「英語は奴隷のことばである」
「偶像を否定するイスラムにおいて、コーランの句はこの御神体以上のものである。『ことばの命』が、現代社会において、氾濫する情報で麻痺したことをかえりみるものは少なかった。『ことばは命であった』(新約聖書・ヨハネ伝一章)とは、ほかならぬヨーロッパ精神文明の基調でもあり、『近代化』はそれをさえむしばむものをはらんでいることは、ほとんどかえりみられなかった。」(128ページ)
「『デユラン』は『デュランド・ライン』の現地なまりで、パキスタンとアフガニスタンの国境線をさす」」
「昭和天皇の大喪の礼のおりには、各国が日本の隆盛と経済発展をほめそやかすお世辞の中、イランの新聞などは『日本は経済発展のいっぽう、モラルは低下し、拝金主義が国民を毒している。精神の弛緩した民族にビジョンはない』と、案外いいにくいことをどうどうとのべる健全な論調だった。ほこり高イラン人の中華思想と『イスラム革命』を話半分としても、考えさせられる。」(197~198ページ)
次に抜き書きではなく、メモ。
・155ページ~157ページに、日本が国連軍にPKOで参加することが決まったというニュースがBBCラジオで流れた際の現地の人たちと中村さんの反応が、現地で働く人たちの気持ちを、日本政府は全く考えていない・理解していないということを示していた。
・1919年「ラワルビンディング条約」で、英国とアフガニスタンの間で「勢力範囲」とされたのが「デュランド・ライン」。
・現地の住民は「パシュトゥン部族=約70%」「モンゴル系のハザラ族」「ギリシア系のヌーリスタン族」「トルコ系のウズベク族」「タジク族」など。
・パシュトゥンに代表される辺境社会の慣習法は「バダル(復讐)」「メールマスティア(もてなし)」「ジハード(聖戦)」「ナームース(名誉)」「バドラガ(旅行者の保護)」「ジルガ(会議)」等が有名。
・キリスト教徒とイスラム教徒との間の不信感は根強い。(57~58ページ)
・多数派民族パシュトゥン=1600万人
・辺境のガンジー=アブドゥル・ガッファール・カーン(1987年没。推定99歳)
=パシュトゥニスタン(パシュトゥン人の国)の分離独立を主張した現地の英雄。
・「南部方言の『パシャイー』。パシャイー族の推定人口は三万から四万人。」
・「『現地は外国人の活躍場所ではなく、ともにあゆむ協力現場である』というのが我われの指針である。」(191ページ)
・「喘鳴(ぜいめい)」
・地対空ミサイル「スティンガー」
次に「現地語」を紹介します。(抜き書き)
「ヒンズークッシュ(インド人殺し)」「ドシュマン(敵)」「アングレーズ(英国)」「チョキダール(門衛)」「カルカ(牧草地)」「ムッラー(お坊様・イスラム僧)」「ラシュカル(戦争)」「マドラサ(モスクでの宗教教育)」「カーフィル(異教徒)」「ハーキム(村医者)」「ドクター・サーブ(お医者様)」「ジュザーム(らい)」「サルマーン(イスラム教徒)」「トーバ、トーバ(くわばら、くわばら)」「ペシャワリー(ペシャワール市民)」「チャダル(かぶりもの)」「スタレイ・マシェ(おつかれさま)」「チャイハナ(茶店)」「パニェール(チーズ)」「マラスムス(栄養失調の一型)」「ハーン(パシュトゥンの領主)」「ジルガ(長老会議)」「カフィリスタン(異教徒の国)」「ザル・ザン・ザミーン(金・女・土地)」「コーヒスターニー(山の人)」「コダーイ・デール・コシャリーギー(神は喜ばれます)」「ザカート(ほどこし)」
次の言葉は、胸に痛い。
「マスコミをふくめ、多くの人びとにとって、ペシャワールでの医療活動は美談以上のものではなかった。」
そしてさらに、次の言葉は、現在の「コロナ禍の中の日本社会」を言い当てているのではないだろうか。
「まるで異物を排除して等質であることを強制するような合意が日本社会にはある。ある種の底意地の悪い冷厳な不文律が、いかようにも説得力のある拒絶の理由を提供するように思えた。」(108ページ)
「外観の色とりどりのファッションと対照に、人びとはひたすら秩序正しく整然と何者かに静かに流されていく。(中略)我われはじつは何かのベルトコンベヤーに乗っているのだ、そしてその行き着く先をだれもほんとうには知らないのだ、これは『フレミングの死の行進』の悪夢であってほしいと思った。」(195ページ)
最後に中村さんは、こう記す。
「『アフガニスタン』が小気味よく思えるのは、たとえ国際政治力学のはざまという時の利があったにせよ、『民主主義』があざ笑う前近代社会が、近代社会の暴虐をはねかえし、翻弄したという事実である。」(201ページ)
民主主義国家で生まれ育った我々世代に「民主主義」以外の政治体制は「悪・敵」に見えるが、本当にそうなのか?「民主主義」が行き詰まりを見せている21世紀の現代において、「本当の民主主義」を見つめ直すきっかけになると思う一冊である。


