『寺山修司少女詩集』(寺山修司、角川文庫:1981、1、20第1刷2005、2、25改版第1刷・2016、11、5第18刷)

2020 . 4 . 17

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凄いな、寺山修司。ロングセラーだな、この詩集。いまだに人気があるんだなあ。

2年前、寺山修司の詩に信長貴富が作曲した男声合唱曲集「思い出すために」を歌ったので、興味を持って読んでみました。(友人の奥さんで川柳作家の方のお勧めの詩集でもありました)

ここに収められている詩は、どれもキラキラしていた。いろいろなことを手探りで「言葉遊び」を実験している感じもして、それがとても楽しそうだった。

2年前に歌った曲(詩)「思い出すために」も載っていて、読んだ。

実は、歌っていた時には、歌詞の意味が今一つ分からなかった部分があった。

それは、タイトルは「思い出すために」なのだが、詩は「忘れてしまいたい」ことがいろいろと出て来るのである。実際に読んでみよう(219~220ページ)

 

「思い出すために」

セーヌ川岸の

手まわしオルガンの老人を

忘れてしまいたい

 

青麦畑でかわした

はじめてのくちづけを

忘れてしまいたい

 

パスポートにはさんでおいた

四つ葉のクローバー

希望の旅を忘れてしまいたい

 

アムステルダムのホテル

カーテンからさしこむ

朝の光を忘れてしまいたい

 

はじめての愛だったから

おまえのことを

忘れてしまいたい

 

みんなまとめて

いますぐ

思い出すために

 

 

という詩なのだ。疑問は、

「“何を”思い出すために?」

「“何を”忘れてしまいたいのか?」

ということ。でもこの詩集にどうやら答えが載っていた。(290ページから)

「ふしあわせという名の口紅」

という散文詩。その中にこんな一節がありました。(292ページ)

 

「男の子は、腕に唇の刺青をしていました

(それは、たぶん男の子の初体験の相手だった

マルベロ島の領事館の夫人のキスマークを

そのまま刺青したものだったのでしょう)」

 

これじゃない?

「『初体験』が、かなり年上の女性(おばさん)で、しかも不倫」

その「初体験の思い出」を「全て忘れてしまいたい」。

なぜ?

「同年代の女の子と『恋』をするために」

え?でも「思い出すため」に「忘れてしまいたい」んでしょ?「何を」思い出すの?

それは、

「女を知る前の、うぶで清純な自分」

なのではないでしょうか?

そうでないと「清らかな少女」とは付き合えないから。

そう思ったんじゃないかな。

恐らく、寺山自身の体験から生まれたこれらの詩を読んで、私はそう理解しました。

 

(2020、4、15読了)