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highlights

みどころ

はどこにでもある、と同時に
本当はどこにあるのでしょう・・・

ルーヴルの名画に宿る
愛のストーリー73点が京都に!

特別な誰かに恋焦がれる
神々や人々の情熱や欲望、
官能的な悦び、そして苦悩や悲しみ・・・

神が人に注ぐ無償の愛、
人が神に寄せる愛・・・

16世紀から19世紀半ばまで
73点の名画を通じて、
西洋絵画における
「愛」の表現の
諸相をひもとく展覧会です。

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prologue

愛の発明

ヨーロッパ世界には、古代ギリシア・ローマとキリスト教という大きな二つの文化の源流をたどることができます。ルネサンス以降の西洋の画家たちは、一方では古代神話、他方では聖書や聖人伝から題材を得ながら、愛という複雑な感情をさまざまなやり方で絵画に表現しました。本展の扉を開くプロローグでは、これら二つの文化における愛の起源の象徴的な表現を紹介します。

ギリシアの哲学者たちは愛の概念をいくつかに分類しました。その一つがエロス(性愛・恋愛)です。この愛を司る神は、ギリシア神話ではエロス、ローマ神話ではキューピッド、または愛を意味するアモル(Amor)の名で呼ばれました。そして、誰かに恋焦がれる不思議な感情は、愛の神の矢で心臓を射抜かれた時に生まれると考えられたのです。フランソワ・ブーシェの《アモルの標的》には、まさに愛の誕生の瞬間が描き出されています。

一方、旧約聖書では、神は最初の人間アダムを作ったのち、アダムのあばら骨から最初の女性エバを作り、二人を夫婦にしたと記されています。聖書によれば、アダムとエバの結びつきはなによりも子孫繁栄のためであり、愛という言葉で説明されてはいません。けれども、ピーテル・ファン・デル・ウェルフの作品に見られるような、調和に満ちたアダムとエバの姿には、キリスト教の道徳観に則した夫婦の愛の絆が感じられます。

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chapter1

愛の神のもとに ー 古代神話における欲望を描く

ギリシア・ローマ神話の愛は、相手の全てを自分のものにしたいという強烈な欲望と一体となっています。本章では、このような欲望を原動力とする神々や人間の愛の展開が、絵画ではどう表現されたのか、たどっていきます。

神話では、愛の神の矢で射られた者は、その直後に目にした誰かに激しい恋心を抱きます。つまり、相手を見ることによって、愛―― 欲望がかき立てられるのです。神々や人間が愛する者の無防備な寝姿を一方的に眺める場面は、ルネサンスから19世紀に至るまで、非常によく描かれました。本章の冒頭を飾るヴァトーの《ニンフとサテュロス》はその好例です。こうした絵画には、「眼差し」を通じた欲望の表現を見ることができるでしょう。

神でも人間でもひとたび恋に落ちると、次は相手をなんとしても手に入れるべく、行動を起こします。その際、彼らがとる戦略は、性別によって描き分けられています。男性の場合は身体の強さ―― 暴力を利用します。神話画に頻出するのは、男性が目当ての女性を追い回したり、力ずくで連れ去ったりする場面です。一方、女性の場合は、イタリアの詩人、タッソの叙事詩『エルサレム解放』に登場する魔女アルミーダのように、魔力や妖術を使って男性を誘惑する場面がしばしば描かれました。

さて、神話上の恋人たちの愛はどんな結末に至るのでしょうか?バッカスとアリアドネ、アモルとプシュケなど、結婚というハッピーエンドを迎える愛がわずかながらあり、絵画にも描かれています。しかし、画家たちがより好んで取り上げたのは、恋人たちの片方が思わぬ事故で命を落とす、あるいは許されない恋に落ちた二人がどちらも死を選ぶといった、悲劇の結末でした。

愛をテーマとする神話画のなかには、愛の神アモルを扱った作品もあります。翼を持つ可愛らしい子どもの姿をしたアモルは、王侯貴族の宮殿や邸宅を飾る装飾画において、人気のモチーフでした。本章の最後のコーナーではこうした作品を紹介します。

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chapter2

キリスト教の神のもとに

キリスト教の愛の考え方のなかで重要な位置を占めるのは、孝心(子が親を敬う愛)を中心とする親子愛です。そこには、愛する者を所有するという古代神話の愛とは対照的に、愛する者のために自分を犠牲にする愛が見いだされます。冒頭で紹介する「ローマの慈愛」や「放蕩息子」のテーマを扱った絵画には、こうした犠牲的な愛の範例が描き出されています。

聖母マリアと幼子イエスをモチーフとする「聖母子」や、彼らを中心として父のヨセフや親戚たちが集う様子を描いた「聖家族」の絵画にも、人間が手本とすべき愛の表現を見てとることができます。こうした絵画を祈りに用いることは、プロテスタントによる宗教改革では否定されたものの、ローマ・カトリック教会では肯定されました。人々は、聖母子や聖家族の絵画を前にして祈る時、そこに理想的な親子愛のモデルを見いだし、自分の家族に想いを馳せたことでしょう。

聖母子・聖家族の図像がキリスト教の愛の穏やかな側面を担ったとすれば、「キリストの磔刑」すなわち「受難」のテーマは、より厳しい側面を受け持っています。父なる神は、人類を救うために、我が子イエスが十字架にかけられるという究極の犠牲を受け入れました。その意味で、磔刑の主題は人間に対する神の愛と結びつけられます。また、聖人たちの殉教を描いた絵画にも、神への愛のためなら苦痛も死も厭わないという犠牲の念を見てとることができます。

とはいえキリスト教の絵画にも、聖人たちの「法悦」のように、性愛を感じさせる画題がありました。深い信仰から忘我の境地に至り、愛する神と一体となる神秘体験をした聖人たちは、概して恍惚とした表情で描かれ、官能性を帯びています。本章ではマグダラのマリアを主題にした作例を紹介します。

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chapter3

人間のもとに ー 誘惑の時代

古代神話の愛の物語は西洋絵画の普遍的な主題であり続けましたが、その一方で、オランダでは17世紀、フランスでは18世紀になると、現実世界に生きる人間たちの恋愛模様が盛んに描かれるようになります。

オランダの風俗画では、身分や年齢を問わず、さまざまな男女の人間味あふれる愛の諸相が描かれました。酒場で顔を寄せ合う庶民の男女、愛の売買を取引する若者と取り持ち女、小奇麗な室内でともに音楽を奏でる上流市民の恋人たち…。オランダの画家たちは、こうした場面をまるで現実の一コマを切り取ったかのように生き生きと描きつつ、象徴的な身振りやモチーフを駆使して、性愛の寓意を巧みにしのばせました。一見、愛とは無関係に見えるホーホストラーテンの《部屋履き》は、こうした暗示的な表現の妙味を堪能できる作品です。

一方、18世紀のフランスでは、ヴァトーが創始した「フェット・ギャラント(雅なる宴)」の絵画が流行し、自然のなかで上流階級の男女が会話やダンスをしながら、誘惑の駆け引きに興じる場面が人気となります。世紀後半には、ブーシェの《褐色の髪のオダリスク》のように、女性の性的魅力を強調した絵画が、おもに知的エリート層の美術愛好家の間で人気を博しました。この時代のエロティシズムのアイコン的存在であるフラゴナールの《かんぬき》では、悦楽にも暴力にも通じうる性愛という、最も繊細で複雑なテーマに光が当てられています。

他方で18世紀後半は、啓蒙思想の発展とブルジョワ階級の核家族化を受けて、結婚や家族に対する考え方が変化した時代でもありました。夫婦間の愛情や子どもへの思いやりといった感情の絆が尊重されるようになり、画家たちも、夫婦や家族の理想的関係を物語る肖像画や、結婚を主題とした絵画を制作しています。

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chapter4

19世紀フランスの牧歌的恋愛とロマン主義の悲劇

西洋には古代以来の歴史を持つ文学ジャンルの一つとして、田園の若い羊飼いや農民の清らかな恋をテーマにした「パストラル(牧歌、田園詩)」があります。そこで語られるのどかな理想世界は、フランスでは17世紀から18世紀にかけて、宮廷社会の規則のなかで生きる上流階級の人々を魅了し、演劇や美術にも主題を提供しました。そして、フランス革命により社会が大きな転換期を迎えた18世紀末から19世紀初めには、手つかずの自然のなかで純朴な若者たちが愛を育むというセンチメンタルな牧歌的恋愛物語が流行します。新古典主義の画家フランソワ・ジェラールの傑作《アモルとプシュケ》では、春の野の花が咲く自然のなかに配された、はかない思春期を思わせる恋人たちの姿に、無垢な愛に対する当時の関心を読みとることができるでしょう。

成熟の途上にある思春期の若者特有の両性具有的な身体は、新古典主義の絵画のなかで、しばしば男性裸体の理想美の表現と結びつけられました。羊飼いの美青年エンデュミオンを主題にしたジロデのエスキースは、この流れを決定づけた重要作品の習作として描かれたものです。またこの時期には、クロード=マリー・デュビュッフの《アポロンとキュパリッソス》のように、古代神話の男性同士の愛を題材にした作品が、かつてなく制作されました。それらには、ロマン主義の特徴である破滅的な愛のテーマが見いだされます。普遍性や理性よりも、個人の主観や感情を重視したロマン主義の芸術家たちは、ピュアで情熱的な、しかし許されない愛で結ばれた恋人たちが不幸な終わりを迎える文学作品―― 神話、ダンテ、シェイクスピア、バイロン―― に着想を得て、悲劇の愛をドラマティックに描き出しました。ドラクロワやアリ・シェフェールの作品には、その典型的な表現が見いだされます。

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